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【書籍】 『月の砂漠をさばさばと』北村薫 主人公さきちゃんの温かくも切ない日常 【感想・ネタバレ】
オラ、アミーゴ・アミーガ!三屋城です☆
今日は、読んだ本の感想です。
読んだ本は、北村薫さん著、『月の砂漠をさばさばと』。
おーなり由子さんの挿絵の入った、ほのりほのりと、ゆったりとした暖かさの作品です。
三人称で綴られる文章は、その文体からも優しい眼差しが溢れんばかり。
入る挿絵も流石おーなり由子さんとあって、ふんわりとした雰囲気を醸し出しています。
けれどこのお話、それだけではありません。
伏線は、開いてすぐの連作短編一作目にして既に姿を現します。
この親子には、何か事情があるようです。
それはさておき。
一作目から思わずクスリとしてしまうような、親子の関わりが見て取れます。
取り上げたりはしませんが、お母さんはそういって顔の前で、手を横に振ります。そうしてちらりちらりと横目で見たりします。さきちゃんは、ここぞとばかり声をはりあげて、
「――バレンタインデーには、まだ早いが」
などと、読めるところを読みます。
「うわあっ」
お母さんは、頭をかかえてカーペットの上に転がってしまいます。
「――きみは、愛を知らない」
「やめてくれー」
やりとりが、非常に面白い。
子どもの発想の豊かさ、見えるもの見えざるものへの大人とは違う視点は、実際凄まじいものがあると身をもって実感していますが。
その一端が、この作品にも随所に散りばめられています。
他方。
読んでいて、さきちゃんのお母さんの眼差しの広さにも、驚かされました。
子供に寄り添う眼差しは、読み手の来し方、自身の親とのありし日の姿を浮かび上がらせるようです。
今お子さんがいらっしゃる方には、こういった視点を持てているかと、振り返るきっかけにもなりそうな。
そんなお話だと、思いました。
それはけっして、現実の親だったりを責めるような視点ではなく。
物語のお母さんも、さきちゃんが抱える諸問題を完全には取っ払うことができていないこともまた、物語の終盤で示唆されています。
そしてその問題は、解決する様を見ることなく終わります。
ほんとうの日常が、描写されている。
そう、感じました。
昔、楽しそうに笑い合う親子にはなんの葛藤もなく。
亀裂もなく。
ただ、その幸せが享受されているだけなのだ。
と思っていた時期がありました。
異常なのは私と、その周りだけで。
家庭の外に一歩出れば私は異質であり、普通を演じなければ、みんなと同じにならなければ、その輪から爪弾きになるのだと思い怯えていました。
けれどある頃合いから、相手の家庭の事情を耳にしたりすることが増えました。
成長し、当たり前に受けていた環境からの影響が客観視される時期、思春期のちょっと後くらいでしょうか。
もしかしたら、思春期ごろだったかもしれません。
それぞれ家庭の事情があり、十把一絡げにただ幸せなんだろうと決めつけるには、レッテルがすぎるような実態でした。
抱えながらも、日々を過ごしている。
誰しもが、そうなのだな。
この物語は、そういった視点にそっと寄り添うような。
ただ優しいだけじゃない、やるせなさをも内包しながら、それでも進んでゆける、進んでゆくしかない毎日を知らせてくれる。
そんな物語だな。
というのが、読み終わった私の感想です。
あったかくて、切ない視点と出会いたい方は、読んでみていただけたらと思います。
ちなみに、この本には栞紐(スピンと言うらしいです)
が付いていて、薄い黄緑でとても綺麗な色をしています。
効き紙というのですかね? の部分が落ち着きつつはっきりした色味のオレンジなので色合いの組み合わせが素敵だし、本の内容に合っているなぁと思いました。
装丁した方のセンスが光っています。
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デザインの妙、というやつですね。
そういう視点からも、なめるように本書を楽しんでもらえたらなと、紹介する身として思ったのでした。まる。