受け入れるという「しょうがない」は未来への力になる
Xを眺めていて、下記の記事にまつわる動画が流れてきました。
引用ポストをしたものの、お相手プロフに情報商材への疑念を持ってしまい……。紹介するのも憚られたので、元の動画ではないものの、見つけた記事自体を貼っておこうと思います。
また、引用にて具体的な発言を紹介します。
引用ポストでの私の発言は、以下です。
過去を、いい意味で手放す。
今の自分が干渉や決定できる区域ではないと、知る。
ならどうするかというと、当時の自分、今なら今。
その自分自身が、その時に持っているあらゆる能力と手段でもって、事にあたる。
それしかないのだと思います。
そうして事にあたって、成功する事もあれば、失敗する事もあって。
それすらもいつかは過去になっていきます。
もしかしたら、さらに先、後悔しようとしている未来の自分になら「失敗した過去の事」へと、できることがあったとしても。
その手法を過去へ持っていくことはできない。
そう、できないのです。
けれど、その当時の中では一生懸命考え抜いて、持てる手法も試したならば。
その地点では、全力ではありませんでしたか?
地点地点での、やれることは違います。
未来の自分は、さらに経過した年数分の経験を持っています。
でも、今の自分に、未来の能力を借りてくることはできないのです。
今ある力での対応。
それは決して、自分で貶して良いものでもないのです。
持っているものは、正直に、誇っていいのです。
例え失敗しても。
「やってみた」「挑戦してみた」その経験が、先の未来の自分の経験値になる。
失敗から、どう失敗したかを知っていればその失敗の筋道は、未来の自分が潰せる。
それも、力です。
その当時の自分の精一杯だったねと、ある種の愚かさすら、声に出して認めることができれば。
ミスに対して分析した上で「消化した」「納得した」「良い距離感になった」、ということだと思うので。
物事の「しょうがなさ」を前向きに捉え、次のステップに進める自分になっている。
と、私は考えています。