内向型のみやた

世間にある文章って9割以上「外向型」向けに書かれていますよね。 たくさんの人に読まれるには、人数の多い「外向型」向けに書くのが効果的ですからね。 それに気が付かずかなり消耗していました。 そんな外向型のお作法は無視して、「内向型」が外側を気にせず好き放題に書いています。

内向型のみやた

世間にある文章って9割以上「外向型」向けに書かれていますよね。 たくさんの人に読まれるには、人数の多い「外向型」向けに書くのが効果的ですからね。 それに気が付かずかなり消耗していました。 そんな外向型のお作法は無視して、「内向型」が外側を気にせず好き放題に書いています。

最近の記事

時には外部の刺激も必要

何もないところからポジティブな感情を作るのは難しい。 なので意図的に外部からのインプットは必要。 何をインプットするかを選択する。 何をインプットするか選択するという小さな行動の差が後々大きくなるかな? とはいえ大げさに考えるのもよろしくない。 ちょっといい気持になるくらいのことにしておけば勝手に拡大されていく。 最初に勢いをつけるくらいのイメージ。 加速してくれたらラッキーくらいで。

    • 太陽の光が気持ちいい

      外に出てから10分くらいすると、清々しい気持ちよさを感じる。 前日によろしくないことがあったとしても、太陽の下、ぼーっとしていると活力が湧く。 部屋の中にいる自分と、太陽の下にいる自分が別人のようだ。 本当はもっと積極的に日光を摂取したほうがいい。 そのための時間をわざわざ確保することを、内心めんどくさがっている。 太陽の下、ゆっくりとすごせば気分が良くなることはわかっている。 確信があるのになかなか動けない。 なんでだろうか? つい身近にある作業のほうに手を

      • 手に入れている価値に集中してみる

        私たちは何らかの行為をし、結果を得ている。 労力のほうにばかり集中してしまい、 代わりに得た結果についてはあまり考えない。 身近でわかりやすい例が買い物だ。 ついお金のほうに意識が行く。 それで手に入れた結果についてはあまり意識しない。 そうではなく、得ている結果のほうに集中してみるとどうだろうか? なんだかありがたい気持ちになってくる。 仮に割に合わないと思ったら、やめてしまうのがいい。 もし、やめれないなら、認識できていないだけで何らかの結果を得ている。 だから何

        • ポジティブなものを上手に受け取る。ことの、練習過程。

          note記事へのスキ、ありがとうございます。 8スキという自分にとって大量のスキをもらったことで、 心に大きな変動があったのでまとめてみました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー いつも1とか2なので大量にあって「え?」と驚いた。 同時に、なんだか怖くなった。 様々なネガティブな思いで打ち消したくなっていた。 そこで、「ちょっと待てよ?」と立ち止まる。 良いことでも、大量すぎると脳が「いつもと違う」と思い、元通りの現実に戻そうと修正している。ということに気

          心の検証は楽しい

          理想を想像するとギャップを埋めるために行動する。 理想を想像すると叶った気になるので行動しなくなる。 さてどういうことだろうか? どっちが正しいのだろうか? 状況ややりかたによって変わるのだろうか? 個人差と一言で片づけることもできるが、 なんとかこの行動の差を作っているものを突き止めたい。 行動力を増す想像と、減らす想像の違いはなんなのだろうか? 「逃避」や「誰かの理想」を想像すると行動しなくなるのかな? 「外側のすべてを取り払った自分の理想」を想像すると行動したくなる?

          心の検証は楽しい

          なんかこう心の扱いがうまくなったような状態になっている

          ポジティブとネガティブへの対応を分けることでうまくいっている。 ・ポジティブ ポジティブを送り出しているというイメージがいい感じである。 未来への投資みたいな感じでよいという感覚を投資している感じだ。 心の反応としては、何かいいことがありそうな予感がしている感じだ。 今この瞬間がいい感じなので長期的なポジティブ生産に取り組める。 ・ネガティブ 外の刺激はいったんすべて外して内側に全集中。 ありのままの感覚を受け止める。 全てそれでOK。 先にネガティブへの対応をする。す

          なんかこう心の扱いがうまくなったような状態になっている

          心の声をただ聴き、理想的な状態を妄想する。

          心の声をただ聴くと自分で自分のことを受け入れられる。 受け入れられていると思えると今でもいいと思える。 今でも十分なので、自然で理想的な状態を妄想できる。 理想的な状態を能動的に妄想すると気分が良くなる。 気分が良くなると今この瞬間に自然といられる。 今この瞬間に自然といられると能動的に気分が良くなる行動を作れる。 このループにより、今十分満たされていると思える。 今十分に満たされているので、長期的な視点をもてるようになる。 長期的な視点を持てればすぐに結果のでない行動でもと

          心の声をただ聴き、理想的な状態を妄想する。

          ただ黙って静かに心の声に耳を傾けることが、感情を大事にするということなのかもしれない

          noteを書く気が起きない。やめてもいいかな? 書いて投稿しないと気がすまないな。 相反する二つの感情が同居している。 そして葛藤を生んでいる。 良いことなのか悪いことなのかはわからない。 自分の内面は一枚岩というわけではない。 それぞれが最適を目指すためぶつかり合うことがよくおこる。 あくまで脳は狩猟採取明時代に最適化されているものだ。 とはいえ、この不協和音を解消できるかもしれない方法が見つかった。 セルフコンパッションだ。 自分に対して、優しく接しようという方法だ。

          ただ黙って静かに心の声に耳を傾けることが、感情を大事にするということなのかもしれない

          やっぱり面倒だな

          新しい方法を試そうとするとメンタルを崩す。 いつも通りにするしかないのだろうか? やはり無理をしているのだろうか? 難しい……

          やっぱり面倒だな

          メンタルが回復したので振り返ってみた

          メンタルを崩し、回復したので、原因と解決策っぽいものをまとめてみた。 そもそも重くなっていた行動を手放した。 一般的には良さそうな行動でも、無理に行うと気持ちが沈み、結果的にすべての行動の足を引っ張ることになっていた。やはり気持ちのフィードバックには正面から向き合う必要がある。 部屋にある不用品を捨て、掃除をした。 コントロール可能かつ気持ちが軽くなる行動は掃除だ。 という風に動けた後なら言える。 重い状態のときには、掃除すらできないのが難しいところ。 結局シングル

          メンタルが回復したので振り返ってみた

          やる気が出ないときの思考内容

          自然体で書いてみる。 そもそも何に悩んでいるんだろうか? 漠然とした悩みの正体はなんなのだろうか? 無理に変えようとしすぎていた。 なので戻すための休みが必要。 また新しい戦略を試してみる。 ついでに書くことのハードルをまた上げていた。 もう箇条書きで編集もしなくていいかな。 そもそも狙って反響のある記事が書けないなら何も狙わなくていい。 やっぱりテーマを決めておかないとこういう箇条書きになる。 テーマ決めが苦手だ。いい案はないかな? 編集されていない悩みをそのまま書いてある

          やる気が出ないときの思考内容

          今日も日記

          ほぼ継続用。

          ただの日記

          また書くことがなくなったな。 メモをあまりしていない。 メモしたいことが出るのを待つよりかは、 定期的に開いてその時に考えているときをメモするほうがいいかな? でないとあまり書き貯めがない。 最初は勢いで書いていたけれども、 安定しだすと意識的にしないときびしいかな。

          効力感はどうやって増やすんだろう?

          何もしたくないな。 でもゲームのような遊びはできる。 その正体は少し垣間見えた。 効力感のようだ。 どうやって増やすんだろうか? というよりも減らさないほうがいい。 でも新しい取り組みをするとどうしても減る。 そういう取り組みがあっていない可能性はある。 減らない取り組みをしたいとは思う。 それがわからないから減っている。 効力感の理解の深さが足りない? 結局こういう理屈を知ったところで生かすには別の何かが必要なのかな。 まだまだ彷徨い続きそうだ。

          効力感はどうやって増やすんだろう?

          メンタルが落ち込んでいるときに思っていること。

          そもそも毎日投稿する意味なんてある? また方向性がわからないな やっぱり無意味なんだよな 変化に対してすべて投げ出したいな また無理しているのかな 面倒だな とか感情を書いていたら、そういえばまた何かハードルを上げているなと気づいた。 どうでもいい投げやり感が出ているタイミングで書いている。 でもたしか投げやり気味に行動するのがちょうどいいとか書いたな。 ある意味投稿が続いているのでその発言通りだな。 続けるだけなら投げやり気味にやっていればいい。 それでどうなるのか? 何

          メンタルが落ち込んでいるときに思っていること。

          好きと嫌いの違いはコントロールできるかどうか?

          書くことは好きなようだ。でもいやになっているときもある。たぶん成果とか何かしらを求めて書くのがいやなんだろう。自由に好き放題できるから楽しい。というより、本来楽しいものでもルールを課されるとつまらないしょうもないことに思えてしまうのかもしれない。 たとえば、人間は本来歩く生き物のはずで、運動は心地いいはず。でも嫌いな人がいる。無理矢理やらされたり、健康上しなければならない、というように自由意志が入っていないからだろう。 それをコントロールできたら苦労しないわけなんだが。

          好きと嫌いの違いはコントロールできるかどうか?