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歩くパンセ

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歩く人の思索です
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競争のない世界は、どんな世界なのだろう

いつからだったか、僕は競争が心底嫌いになった。 多分、大学を出て最初に就職したときからだったと思う。 ある通信社に新聞記者として就職し、地方の支局で始まった記者の一年目。 そこはすべてが凄まじい競争の世界だった。 一分、一秒をかけて他社よりも速く情報を伝えることが最大の成果だった。 5分後に発表されることを、5分前に伝えることが特ダネだった。 速く、とにかく速く。 早朝から深夜まで競争に明け暮れた。 深夜も当番があり、自宅に引いたファックスに当局からの情報が送られてきて、寝

生産性と効率の向上は人間に「豊かさ」をもたらすか

テクノロジーの恩恵として最も大きなものに「速度」がある。 ここで言う速度とは、地上に存在する2点間を最短の時間と距離で結びつけることだ。 例えば鉄道。 鉄道の価値は、駅と駅の間を最短時間で人や物を運んでくれることにある。 飛行機なら、空港と空港の間。海を越えて大陸間をことが可能になる。 インターネットは光の速度でネットワークに繋がっている人々を一瞬のうちに結び付ける。 僕が子供のころ、こんな話を聞いたことがある。 「ロボットの普及によって、人間の仕事をロボットが代替してく

歩くことについて語るとき、僕が語ること~歩くことに関して言えば、誰もがアマチュアである~

「歩く」ということに関していえば、プロフェッショナルは存在しないと僕は考えている。 あくまでも日常にありふれている、普段の歩行について。 「歩く」という意識すらすることなく、誰もが当たり前に行っている、左右の足を交互に踏み出して移動する行為について。 いつだったか、散歩をしていて、ふと「歩くことは誰もがアマチュアだ」という考えが浮かんできた。 世界にこれほどまでにありふれていて、人類が生まれた瞬間から今日まであまりにも長い歴史を持ち、誰もが無意識に行える習慣と化している

ひとりの身体の中にも、人生の出来事の中にも、小さな生と死の循環が常に起きている

「波はどこから来るの?」 童心に帰って裸足で歩いてみると、普段は気にならない目の前のふとした現象がとても不思議に感じられて、それを素直に言葉にすることもできるようになるのかもしれない。 雨の砂浜を裸足で歩きたいという素敵なリクエストにお答えして、久しぶりの「湘南の散歩屋さん」開店です。 雨は小降り。 レインコートを着て、ズボンのすそを捲って、もういっそのこと思い切り濡れてしまおうという意気込みで、雨の海岸線をゆっくり歩きます。 この日の湘南は、たくさんの漂流物が打ち上

世界の歩みを想像してみる~海辺で小石を拾う~

ここ最近、海辺を歩いていると、程よい大きさの石ころが水たまりのようになってあちこちに固まっています。 どこから運ばれてきたのか。 ほんの一か月前の砂浜には、こんな石だまりはなかった。こうしたものをみつけるにつけ、海はいつも変化しているのだなと感じることができます。 僕は水切りが好きなので、程よく削られた平べったい石を拾って、誰もいない海に投げてみます。 波と波の間の、海がちょうど平らになるタイミングを見計らって投げないと、小石は波にのまれてしまいます。いくつかの石を拾って

「歩くために歩く」とは言葉にならない世界を言葉にしないまま生きる覚悟をすること

先日27日の土曜日、第10回「湘南を歩く人」を久しぶりに開催しました。 「天園を歩く人」と題して、鎌倉の北側を囲む山々の尾根沿いの道を歩きました。 「湘南を歩く人」、緊急事態宣言中は故あってお休みしていましたが、いつの間にやら春になっていたようです。 この間は、色々なことをじっくりと考えたり、悩んだりしていました。 それは言葉にすると溢れ落ちてしまう何かについて、だったように思います。 あるいは、言葉が切り落としている世界の広さについて。 そうした曖昧さに自然と目が向い

新しい道を拓く歩みは、特別なものではない~第8回湘南を歩く人~

実はここ数日軽く体調を崩していた。 やるはずだった仕事が何も出来ず、明るい時間帯のほとんどをベッドに横になって、寝るとも起きるともなく、ぼんやりとしていた。 時々ふと起き出して、本を眺めたり(読んではいない)、何か文章を書くなどしていた。 昼寝は夢とセットだ。 明るい光が夢を誘発するのか、その短い数時間の午睡は、いつも僕に夢を見せる。 僕の場合、夢をみたい時は、昼寝をすれば良い。あるいは朝6時くらいの早い時間帯に起きて一度トイレを済ませてから、ベッドに戻って9時過ぎくらい

見聞きした世界を、歩いた世界に変えていく~第7回湘南を歩く人~

よく晴れた25日の金曜日、「三浦半島を歩く人」を開催しました。 約20キロの道のりを、4時間半歩き通しました。 これは普段の鎌倉~江ノ島ルートの2倍の距離です。 健脚な参加者Nさんのリクエストで、京浜急行三崎口から南へ。 都心からわずか1時間の場所にある、静かな暮らしが広がる風景の中を、ふたりでゆっくりと歩きました。 三浦半島の西側。小網代の森という、原生の木々に囲まれた谷あいの湿地は、野生の植物、カニ、ウズラなどを見ることができます。 車の音も聞こえなくなり、風が枯れ

歩くことで救われる心がある~冬至の夕暮れに多摩川沿いを歩く~

12月19日(土)は「多摩川を歩く人」を開催しました。 多摩川駅をスタートして、多摩川沿いを北上。ゆっくり川沿いを歩いたら、ちょっと寄り道で住宅街に突如現れる渓谷へと入っていきます。 等々力渓谷という不思議な空間なのですが、ここは渓谷内にある滝が轟いたことから、等々力という地名の由来になった地でもあるそうです。 由緒が書かれた看板をなるほどと眺めていたら、下の方に「この看板は皆様の郵便貯金と簡易保険のお金で建てられました」と書いてあり、唸ってしまいましたが(笑 さて、昨

この地球の「奥の細道」を辿るようにして、歩くことについて語る

歩くことは誰にでも出来る易しい行為だが、歩くことについて語ることとなると、歩くことほど容易ではない。 「歩く」とはなんだろう。 歩くことは、人間が誕生した瞬間から、人間と共にある行為だ。 直立二足歩行によって人間と他の生物を区別するならば、人間とはすなわち二本の足で「歩く」動物ということになる。 アフリカで誕生したとされる人類の祖先は、主に大陸を歩いて移動して世界各地に広がった。歩くことは、いつも彼らの生活のすぐ横にあった。 世界の全ての地域で、ほぼ全ての人が、何百万年

今の僕たちは使い方を知らない子供が機関銃を手にしているようなものだ

昨日、やや遠方に住んでいる長い付き合いの親友を久しぶりに訪ねた。 彼と出会ったのは、もう17年くらい前になる。僕が仙台で大学院生をしていた頃、就職活動のために都内の学生グループに参加して、情報交換や普段会えない政治家やビジネスマンと交流する機会を頂いていたのだけれども、彼もそのチームに参加していたのだった。 仙台から高速バスで遠路はるばるやってくる僕を毎回アパートに泊めてくれて、レンタルしてきた映画のDVDを垂れ流しながら(「ナビィの恋」とか「黄泉がえり」とか、普通の邦画

”やりたいこと”を手放してみる~第3回湘南を歩く人~

今日は「第3回湘南を歩く人」を開催しました。 最高の天気に恵まれ、2名の参加者にも恵まれて、鎌倉から江ノ島までのコースをのんびりと歩きました。 暖かい日差しと、穏やかでちょっと涼しい風がとても心地良く、歩きながら心の中の何かが開放されていくような感覚があります。 そして2~3人の少人数だと、ひとりひとりの言葉や考え、悩みなどとじっくりと向き合うことが出来るので、僕は好きです。 仕事のこと、将来のこと、これからどんな生き方をしていきたいか。七里ヶ浜の砂浜の大きな流木に腰

意味という言葉の意味は

「ただ歩くために歩くなんて、何の意味があるの?」 と、面と向かって言われたことは今のところ一度もありませんが、言わないまでもこう思う人は少なからずいるだろうな・・・と思っています。 意味、あるのでしょうか・・・? あ、ないっすね(笑 僕ならば、こういう疑問に対しては、堂々と「あ、ないです、すいません(笑」と堂々と答えると思います。 そして逆に、やんわりと物腰柔らかく、洗いたてで柔軟剤の香りでふわふわのタオルで優しく包み込むかのような優しい感じで、とにかく優しくお伺い

本来の自分に帰る場所~湘南を歩く人~

31日の土曜日、「湘南を歩く人」を開催しました。 初回だった前回は残念ながら雨天中止となったため、念願かなっての初開催です。 さて、2回目となる今回は「砂浜を裸足で歩く人」になりました。 雲ひとつない穏やかな快晴で、絶好の砂浜散歩日和。 都内などから5名もの参加者が集まり(たくさん!ありがとう!)、のんびりと歩く時間を楽しみました。 「気持良いー!!」 と、海岸に到着するや参加者から歓声が上がります。 というか、本当に良い日差しで、海岸に到着する前からずっと気持良いと