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ひとりの身体の中にも、人生の出来事の中にも、小さな生と死の循環が常に起きている

「波はどこから来るの?」

童心に帰って裸足で歩いてみると、普段は気にならない目の前のふとした現象がとても不思議に感じられて、それを素直に言葉にすることもできるようになるのかもしれない。

雨の砂浜を裸足で歩きたいという素敵なリクエストにお答えして、久しぶりの「湘南の散歩屋さん」開店です。

雨は小降り。
レインコートを着て、ズボンのすそを捲って、もういっそのこと思い切り濡れてしまおうという意気込みで、雨の海岸線をゆっくり歩きます。

この日の湘南は、たくさんの漂流物が打ち上げられていました。
昨日まではなかったたっぷりの海藻とごみが海岸線一帯に打ちあがっていて、少し異様な雰囲気もあります。
ちなみに、先日ここに書いた石だまりはすでに流れて無くなっていました。

透明なクラゲの死骸があちらこちらに点々として、木の棒でつつくと固いゼリーみたいです。でもそれはどこか宝石のように美しく、光を受けてキラキラしています。飾れるなら飾っておきたいくらい。

それから、鳥の死骸や、亀の死骸がありました。
亀の死骸はまだ生きているようにも見えましたが、よく見ると頭だけ肉が削げて、白骨になっていました。おかしな死骸です。ふたりとも、写真を撮ることを躊躇ってしまいました。

この数日の間に、海の中で何かが起きていたのかもしれない。
それは陸からは見ることができませんが、海の中では陸地以上に様々なことが起きているでしょうし、その一端が漂流物になって海岸線に流れ着いているのかもしれない。

海は始まりの地でもあり、終わりの地でもある。
生と死はひとつの循環でしかなく、波の満ち引きのように、永遠に繰り返される現象です。この地球に海が出来たときから、何十億年もの間ずっと変わらずに、波は寄せては返し、また打ち寄せる。

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「波はどこから来るの?」

波は、はるか沖合に吹く強い風が、海面を揺らすことで発生します。
それは何千キロもの距離の旅をして、他の波とぶつかったり繋がったりしながら成長していきます。
そして、一本の長い線のようになって、私たちの住む陸地へと到達します。

水たまりに石を落とすと、波紋ができます。
その波紋が海をずうっと伝わって旅をしてくると思うと、ちょっと途方にくれます。

動いているのは水ではなく、エネルギーです。
水の中をぐるぐると回転するエネルギー。浅瀬に近づくにつれて盛り上がり、張力に耐え切れなくなって波頭が崩れます。その時に円を巻くように崩れていく姿が、エネルギーの形です。

循環する生と死。循環するエネルギー。
そうしたエネルギーの境界線を、裸足で歩いてみる。
足の裏で直にエネルギーを感じてみると、僕たちの営みもまた循環しているのだと、どこかから声が聞こえてくるような気がします。

何かを辞めたり、終えたり、手放したりすることは、エネルギーがいります。
その力に抵抗することなく、身を委ねてみる。すると終わりのエネルギーは、次の始まりのエネルギーへとつながっていく。

「終わらせたことを祝福できる時間、労わる時間が取れて良かったです」

そんなことを言ってくれた参加者の方の言葉に、僕もまたなんだか祝福されたような気持ちになりました。

終わることは、祝福でもあるのですね。
死者を見送るときのように、新たな旅立ちを悲しみとともに祝い、そして新たな生命をこの地に迎える力とする。

ひとりの身体の中にも、人生の出来事の中にも、小さな生と死の循環が常に起きています。
この循環を感じることが出来たら、手放すことも、受け入れることも、恐れを感じずに生きることができるようになるのかもしれないですね。

「湘南の散歩屋さん」、次回は7月、砂浜を裸足で歩いたり、焚き火を囲んで話したり聞いたり、三浦半島の方を訪れたりする予定です。

基本的に告知はあまりしませんが、いつでも参加募集しています。
参加費は0円ですので、お気軽にお声掛けください。


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