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歩くパンセ

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歩く人の思索です
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#雑記

歩く人⑥

この道を歩け、と囁く声が聞こえたような気がした。 4月末日、何気ないの午後の散歩の途中のこと。 東海道線辻堂駅の少し北にある、国道一号線沿いを歩いていたときだった。 それはかつて東海道と呼ばれた道だ。京都から日本橋までをつなぐ幹線道路。江戸時代以前から何百年にも渡り、無数の人々が徒歩や馬で旅をした、歴史的な要所。 ふいに、この道をまっすぐ歩いてみたくなった。 それは衝動のようなものだったかもしれない。ちょうど来た道を折り返して、家に帰ろうと思っていた矢先の、突然の衝動。

アーティストステートメント

アーティストステートメントってやつを書いてみました。 これずっと書いてみたかったのです、ひそかな憧れみたいなもので(笑 基本的には世界へ向けたメッセージなので、DeepLさんに英語に翻訳していただきました。想像以上に精度高くて驚いた! 日本語版だけ載せておきます。 何を言っているのか分からないと思いますが、自分でも良く分かりません。 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

歩く人④

歩行にはリズムがある。 右足と左足を交互に、一定のテンポで前に出して、頭の中で「いち、に、いち、に」と声を出してみる。 小さい頃、小学校の帰り道で、実際に声を出しながら歩いた経験がある人も多いだろう。「ワン、ツー、ワン、ツー」でも「右、左、右、左」でも、同じ。 自分は今でも声に出して歩くことがある。そして呼吸も自然と歩行に合わせて「スッ、スッ、ハッ、ハッ」と、4拍子のテンポを取っている。 自分が1時間に歩ける歩数を数えてみた。約6000から7000歩。1秒間におよそ2歩

歩く人③

実は言葉をあまり信用していない。 と、いきなり何のこっちゃって感じだと思うし、今これを書いているのも言葉じゃん! というもどかしさもあるのだけれども。 以前文章教室について書いたnoteで(⇒リンク)、「一つの言葉が、人によって全く違う意味を帯びてくることがとても面白」い、ということを書いたけれども、それと同時に、実はとても危ないことでもあると思っている。 これは文章教室に行くずっと前から、十数年くらいずっと考え続けていることで、特に20代のころ、記者をやっていた時には、言

歩く人②

「歩くこと」について語っている人はいないだろうか? ふとそう思ってネットサーフィンしていたら、こんな詩の一節を見つけた。 「ゆるやかな歩み、ゆるやかな音の移動、ゆるやかに溜まる疲労、ゆるやかな精神の発泡。ぼくらの生きている時間が地水火風の変化と物質的にからみあって流れてゆく状態を、もっとも鮮明に、ゆっくりと、しかし稲妻のような電荷をおびた尖鋭さをもって認識するためには、徹底した歩行以上にすぐれた経験が、はたしてあるだろうか?」 (管 啓次郎『狼が連れだって走る月』 「歩み去

歩く人①

連休中はひたすら歩いていた。目的も意味もなく。 12万5630歩。5日間での歩数。およそ50km。 いずれ時期が来たら、このことはちゃんと書きたいと思う。 歩くことでしか見えてこないものがある。 ゆっくりと流れる一つ一つの景色を、道のりの手ごたえを、踏みしめた地面の硬さを、そして歩くことが僕たちに与える足の痛みを。 歩く速度は、そこにある当たり前の日常を見つけるのにちょうど良い速度でもある。 そして、今の僕たちの速度が、どれだけのことを見落としてきてしまったかということも