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コツコツ続けるって、恥ずかしいこと?

【大器晩成】

大きな器は完成するまでに
時間がかかることから、真に
偉大な人物も大成するのが遅いということ

goo辞書より引用

大きな成功をおさめるためには
それ相応に時間がかかるのは当たり前。

ポッと出てきた成功ほど、
人は必要以上に価値を認めず
すぐに手離そうと考えます。

だからこそ、続ける行為は重要な条件であり
成功するためには継続は必要不可欠なのは
理屈抜きで分かること。

ただ…


「コツコツ続けてます!」と
大衆の面前で大声で言えないのは
なぜでしょうか。

どこか
うっすらと”恥ずかしい”と考えるのは
どうしてでしょうか。


今回のテーマは
「コツコツ続けるって、恥ずかしいこと?」
についてお話しさせてください。

どうして、コツコツ続ける行為に
羞恥心を感じるのか。

ぜひとも読み進めて
共感していただけたら幸いです。

では、いってみましょう(^^♪



✔コツコツ続けたら
 恥ずかしい?

小さな物事をコツコツ続けるからこそ
確実に成功へ近づけるのであって、
けして恥ずかしい行動ではないはず。

でも、不思議と「恥ずかしい」と感じるのには
大きく3つの理由が挙げられます。

①期待に応えられないから
②結果が見えづらいから
③周囲の人より劣るから

以上の3つです。
詳しく解説します。



①期待に応えられないから

コツコツ続ける行為を恥ずかしいと感じる理由には、
他人からの評価や期待を強く意識する面が存在します。

小さく続ける行為は、どうしても
すぐには結果にむすび付きません。

だからこそ、周囲の人から「怠けている」
「努力していない」「もっと早く成果をあげろ」と
プレッシャーを感じずにいられません。

「他者の期待に応えたい!」と思うほど
目の前の小さな行為そのものに価値を見い出せず
しまいには「恥ずかしい行為だ」と
考えてしまう傾向にあるのです。


②結果が見えづらいから

ひとつひとつの歩幅は最小ながらも
確実に結果につながる。

それが「コツコツ続ける」の真意です。

ですが、とうぜんながら
長期にわたって続けるからこそ価値あるものなので
すぐには結果につながりません。

現代社会では短期間での成果や成功を求められるため、
余計に「コツコツ続けよう」とはなりにくい。

また、完璧主義の人にとっては
続ける過程は「完璧でない自分」「成長できない自分」と
感じてしまい、恥ずかしさを実感します。

結果、努力を全力で隠したり、そもそも続ける行為すら
避けようとすることがあります。


③周囲の人より劣るから

SNSのかかせない今の時代。
否が応でも周囲の人とくらべる世界線に、
自分の身を置かなければいけません。

周囲の人とくらべると、どうなるか。

目の前の小さな行動を続けることを
バカらしく感じます。

他人の成功や成果を目にするほど、
「これって意味あるの?」と感じてしまうのです。

自己評価の低い人ほど、周囲の人とくらべて
自分の努力や成長を認めることが難しく
コツコツ続けることに抵抗を感じる傾向にあります。



✔一攫千金を
 夢見る人へ

「ドカーンッと一発!
 デッカイ夢を手に入れてやる!」と
意気込む方へ。

一言、いわせてください。


行動の伴わない人は
夢は叶いません。


夢や目標を実現するには、
すべて行動ありきです。

「やるべきこと」から逃げずに
ひたすらに積み重ねるからこそ
実現可能な話に仕上がります。

「夢物語だ…」と嘆く前に
「いま自分にできることはなにか」を
試行錯誤し行動し続けた人から
夢に近づけるのです。


だからこそ、
「何もしなくても夢は歩み寄ってくる」
「自分の努力は必要ないんだ」
「ラッキーパンチを待ち続けよう」
といった勘違いははなはだしい。


夢や目標の大小によって
叶うタイミングに誤差はあれど、
やっぱり行動し続けた人から
結果的に叶うとわたしは確信しています。









この世の英知を司る
あらゆる建物や物、機能、人ですら
過去の人が積み上げたからこそ
生まれた創造物です。

そこには神様はいない。

あるとすれば、
コツコツ続けてきた人の
ひたむきな行動力の賜物なのです。


コツコツ続けるって、
けして恥ずかしいことではありません。


わたしは
続ける行為を誇りに想い、
今日もまた投稿し続けていきます。



では、また。
失礼します。


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