「最高の記事が書けた」と思うのは100記事にひとつ
毎日投稿、お疲れ様です。
毎日は投稿していないても、
日々、noteで投稿を続けている方も
お疲れ様です。
沢山の投稿を続けていると、
作った作品の中には
「これは良いのが書けた!」と
自画自賛したくなるモノも出てきます。
人によって個人差はあれど…
わたしの場合は、
「”100記事にひとつ”ぐらいかな~」
と感じます。
どうして、
100記事にひとつの割合なのか?
今回は、
良作は100記事にひとつの意味を
解答していきます。
✔わたしの良作は、
今のところ”3つ”です
先日、毎日投稿200日目を達成しました。
(そのときの記事がコチラ☟)
現在、わたしの記事数を
公表すると…
※毎日投稿前の記事も含まれます。
気がつけば、世の中に
公表した記事は、300を超えてます。
この中に
良作は いくつあったのか?
肌感覚になるのですが、
それこそ100記事にひとつですので
3つほどになります。
当時、
黙々と記事を完成させ続けて
(今でもそうですが💦)、それでも
「良いモノが書けたな~」と
思えるのは3つほど…
「shogoさん、それって
書いてて楽しいですか?」と
読者はツッコミたくなりますよね(;^_^A
はい、その点については
次の段落で説明します。
✔”100記事にひとつ”
の理由
あなたにとって「良作が出来た~」と
思えるときは、どんな心境ですか?
たとえば…
・自分が書いていて面白かったから
・何度も読みかえしたくなるから
・筆が止まらずに書けたから
・伝えたい思いを書けたから
こんなふうに、
「おぉーー!今の状態は覚醒してる!
なにをやっても最高のモノが
書けるんじゃね!?」と
ノリに乗った状態のとき。
書き終わったら
「はぁ~自己最高のモノが書けた~!」
と思えるのでしょう。
わたしからすれば、こういった状態は
自分のチカラを120%出し切った
”フルマラソン完走状態”と呼びます。
「いまのオレは、
誰にも止められないぜ~!」
と、敵知らずな有頂天そのもの。
では、反対に
”フルマラソンを常に完走できる状態”は
毎回、毎回、あなたに訪れるのか?
否、
ほぼ稀です。
100回 作ったら、100回とも
最高の状態で作れるなんて、
天地がひっくり返ってもありえません。
なぜなら、
わたしたちは人間だから。
ロボットやAI であれば、
限りなく最高のモノを作れるでしょう。
人間だからこそ、
気分が乗らないときもあるし、
体調が優れないときもあります。
でも、感情が入るからこそ
作品に起伏が生まれ、
読者の心を打つことができます。
✔ほどよい完成度だから
続けられる
人間だから「常に最高の状態」で、
作品を作るのは難しい…
それでも、投稿し続けられるのは
完成度の妥協です。
120%の記事を作り続けるよりも、
70~60%の完成度を届ける努力をする。
わたしの「noteの指標」です。
わたしにとって、読者に
自分の作品を届けられないことのほうが
悔しいです。
読まれずに埋もれるよりも、
少しでも多く投稿し続けて
見てもらうことのほうが大切です。
そのためには、
毎回の完成度を120%で求め続けると、
どこかで疲れ切ってしまいます。
たしかに、
良いモノが書けたときの充実感は、
何事にも代えがたいです。
それでも、誰かに読まれなければ
ただの自己満足で終わります。
自己満足の世界に浸ると、
読者を置いてけぼりにします。
それでもイイと言う人もいます。
でも、noteの世界で
読者を求めない作品を
投稿し続けて楽しいのでしょうか?
わたしは、そうは
なりたくないんです。
「ほどよい完成度」でも、
ひとりでも多くの読者に
読んでもらうこと。
それこそが
わたしにとっての楽しみです。
noteで、クリエイター同士の横のつながりを
実感したいからこそ、とにかく投稿し続ける。
そして、読者に読んでもらい
わたしを認知してもらう。
(これも…
ひとつの自己満足かもしれません💦)
これほどにも”至上の楽しみはない”と
思っています。
✔noteだから、
良作は少なくていい
noteのコンセプトは、
「つくる、つながる、とどける」です。
けして
「最高の良作を作ること」では
ありません。
そう考えると、
作品を作ることにたいして
肩のチカラも抜けて
リラックスできますよね😊
「良いモノが書けなかった~」と
悩む必要はありません。
大事なのは
「つくる、つながる、とどける」
なんです。
究極は、駄作でもいいと思います。
いまの自分の状態を知ってもらうことも
noteでは、大切です。
そして、
多くのクリエイターとつながり、
読者に作品を届けましょう。
それこそが、
あなたのnoteライフを
豊かにしてくれます。
では、また。
失礼します。
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