主張することの、めんどくささ(エッセイ)
主張することは何事に対しても、めんどくさいのである。
そのめんどくささは自他ともにあることだ。
自分語り、めんどくさい。
何かを断言すること、めんどくさい。
そもそも何かを「これだ」と決めつけること、めんどくさい。
言葉という確固たる断言要素を強制確定してしまうこと、めんどくさい。
物事は曖昧なほうがいい。
むしろ、分からないほうがいい。
断言しても、人によって違うし、それが真実であるとは限らない。
しかし、その主張は、めんどくさい要素をハラみつつもみつつも、それが世界の真実であるように映し出されることが人間にはある。
私たちは人間なのだから、人間の物事で正しいと思うことを認識してしまう、そういう生き物なのだから、しょうがない。
つまり、何が言いたいのかというと……そういうことなのである。
そういうことなのである。
ここで断言すること自体が、めんどくさい。
主張しても、ただの押しつけにしかならない気がする。
面倒なことは避けたほうがいい気がするし、何より相手が何かを主張したことに対して「考えろ」と言ってきたとすると、それは、とてもめんどくさい印象を与えるものになるだろう。
そういう印象を与えるくらいなら無理に「悪者」にならなくてもいいと思うのだけど、皆さまは、どう思いますか?
皆さまは「自分の世界」を大切にするように……というのも押しつけかな?
とりあえず、生きてくれれば、それでいいです。
頼まなくなって生きてやる、くらいに生き抜いて生きましょう。
息抜きも大事です。
結局は今が大事です。
今のために生きましょう。
それくらいは主張させてください。
ただし、この発言の責任は取りません。
批判してもいいです。
自分勝手だと言ってもいいです。
でも、コントロールするのは自分です。
自分で生きましょう。
パートナーがいるなら、その人と共に生きましょう。
家族を作りたいなら責任を持って作りましょう。
世の中の全てが素晴らしいわけではありません。
ひとりの物語は終わりますが、世界の物語は続いていきます。
見えないところで何かが続いていきます。
ひとりが世界を動かしているわけではありません。
世界がひとりを動かしているのです。
その事実は真実です。
私たちには限りがあります。
その中で生き抜くしかないのです。
長生きして生きましょう。
……結局、主張してしまった。
私は、めんどくさい人なのかもしれません。
それでは、皆さまの人生が、よいものになりますようにと勝手に願いながら――。