LSD《リリーサイド・ディメンション》第30話「白百合の布」
*
ユリミチ・チハヤは、この百合世界《リリーワールド》から存在しなくなった。
風帝《ふうてい》との戦いによって――。
「――脳死……ですよ?」
ああ、と「名誉生徒会長」は言った。
「チハヤお姉さまは……本当に亡くなってしまったのです?」
そう、だと言っている。
ユリミチ・チハヤという存在は、この百合世界《リリーワールド》から消滅してしまった。
自分自身のやっていることに、なにもデメリットがないと、あいつは判断したからな。
原因は、ユリミチ・チハヤ自身が生み出したプログラムである魂の結合だ。
「どういう意味ですの?」
あいつは自分自身の力を過信しすぎたのだ。
自分自身をメインとし、周りをサブとした。
ひとりの存在が戦闘していた学院全員の騎士たちと接続したのだ。
メインとなるユリミチ・チハヤの脳がサブにAPの共有伝播をおこなった。
学院全員の騎士たちとの接続は、ユリミチ・チハヤ自身の脳に莫大な負荷がかかる。
ユリミチ・チハヤは痛みを感じられない人間だ。
たぐいまれなる個性の持ち主だ。
要するに、その脳は痛みを感じられない……限界を知らない。
限界を感じられないんだ。
痛みを感じられないから。
ユリミチ・チハヤの脳内にはリミッターは存在しない。
魂の結合の長期使用により、ユリミチ・チハヤの脳神経は断裂した。
それが原因の脳死だ。
だから、もう……ユリミチ・チハヤは亡くなってしまった、と同意義だ。
ここからの回復は、ありえない。
いずれ心臓の鼓動も止まるだろう。
でも、神託《しんたく》の間《ま》の予言は正しくなかった、ということがわかっただけでもいいじゃないか。
いい考えがある。
我々には百合暦《ゆりれき》二〇XX年の技術がある。
ユリミチ・チハヤの髪の毛からハイブリッドクローンを作ろう。
今、この百合世界《リリーワールド》には救世主がいない。
だから救世主をこの手で作ってみせよう。
それが「名誉生徒会長」である自分の使命だ。
ご協力をお願いする。
*
――ユリミチ・チハヤの遺体が存在するベッド付近にて。
「つまり……『名誉生徒会長』は自身の手柄がほしい、ということですか?」
メロディは単刀直入に。
「そうしなければいけない理由がある、と」
「そういうことだと思われます、です」
ユーカリは悲観の感情を抱きながら。
マリアンは今後、百合世界《リリーワールド》に起こる事情を思い出す。
「風帝《ふうてい》は倒しました。ですが、それがすべてではない……炎帝《えんてい》、氷帝《ひょうてい》、地帝《ちてい》の三体が、まだ存在していますわ。これからの戦い、チハヤが存在しなければ、どうやって世界を救うことができましょうか……?」
「女王さま、いえ……女帝《じょてい》さまが他人事みたいに言うなんて……」
アリエルはマリアンに愚痴をこぼす。
「……がっかりします。これが唯一の国の女王の発言だなんて……わたしは聞きたくなかったです」
「……そうですわね」
「まだ、わたしたちにできることがある……はずですよ。チハヤさまの心器《しんき》が消滅していない事実が、なにを物語っているのか……なにか解決策があるはずなのです」
そうだ。確かに白百合《しらゆり》の剣《けん》は存在している。まばゆい白き光を放ちながら。
「確かに脳死、ではあるかもしれません。ですが……心臓が、まだ動いている」
百合暦《ゆりれき》二〇XX年の技術では脳死状態からの回復は前例がない。
「まだ、あきらめられません。わたしには、わたしたちには……チハヤお姉さまが必要なのですから」
「しかし、方法がない……ですわよ」
「いや、方法は……ある、かもしれない」
アリエルとマリアンの会話にアスターが。
「……私に考えがある」
*
「白百合《しらゆり》の剣《けん》のデータをロードする!?」
「ええ、まずは『名誉生徒会長』に……この剣の解析をおこなってもらいましょう」
驚くマリアンたちにアスターは説明する。
「魂の結合をおこなっていたから理解できるかもしれませんが、チハヤさまは白百合《しらゆり》の剣《けん》を作成するとき、百本分の百合《ゆり》の剣《けん》の統合をおこないました。つまり、チハヤさまは持てる力を出し切ったと思うのです。心器《しんき》は心の結晶であり、自身を映す鏡です。白百合《しらゆり》の剣《けん》が今も存在しているのは、チハヤさまは亡くなっていない、という事実である可能性があるかもしれないのです」
アリエルはアスターにねる。
「脳の断裂を修復すればいい、と思うのです」
「つまり、百合暦《ゆりれき》二〇XX年の技術で、それが可能になると」
「希望的観測ですが、そうなるといいなって。そうですね……脳を保護する膜みたいなものを作成できればいいのですが、私の案を述べますね」
アスターはキュキュッと電子ペンで電子ボードに図を書いていく。
「バンダナ……ですか?」
「はい、そのようなイメージです」
アリエルの質問にアスターは答える。そのあとにユーカリが質問する。
「チハヤお姉さまは、それで復活するのですか? だとしても記憶は……」
「記憶は戻るはずですよ。いえ、正確には植え付けるのです」
メロディは会話に参加する。
「つまり、チハヤお姉さまは……どうなってしまうのです、よ?」
「いつものチハヤさまに戻るはずですよ。長々と述べさせてもらいますが、チハヤさまの脳を回復させるために白百合《しらゆり》の剣《けん》のデータをもとにした補助器具を発明するのです。名付けるならば『白百合《しらゆり》の布《ぬの》』ですかね」
『白百合《しらゆり》の布《ぬの》?』
全員が、そろって言う。
「ええ、布状の膜を利用してチハヤさまの頭を保護し、回復するようにすればいいのです」
アスターたちは「名誉生徒会長」に「白百合《しらゆり》の布《ぬの》」の製作を依頼した。
どっちかというとユリミチ・チハヤのハイブリッドクローンを作成するほうにワクワクしていた彼女だったが、マリアンに「名誉生徒会長」のほかに「名誉技術顧問」の称号を与えるわ、待遇も今より断然よくするわ、と言われて納得した。
ハイブリッドクローン計画は消滅し、代わりにユリミチ・チハヤ復活計画を実行した。
彼女は今、そのプログラミングをおこなっている。
そのプログラミングのコードは二、三時間で完成した。
――百合暦《ゆりれき》二〇XX年五月八日午後三時。
アリエルはチハヤの手を取り、願う。
「言っていませんでしたけどね……今日はわたしの誕生日なんですよ。あなたは、わたしに生きる希望をくれました。今までのつらい出来事が忘れられるようになりました。だけど、初めて、あなたに出会ってから、わたしが生まれた今日くらいは幸せになってもいいじゃないですか……一緒にハッピーエンドを迎えましょうよ……どうか、どうか……お願いします、神さま」
――百合暦《ゆりれき》二〇XX年五月八日午後四時。
ユリミチ・チハヤ復活計画の時は来た。
アスターが持つ紫苑《しおん》の花言葉《はなことば》の能力でユリミチ・チハヤの過去のデータは、いつでも取り出せるし、植え付けられる状態だ。
その過去をユリミチ・チハヤの脳内に再現し、ユリミチ・チハヤを一から作り上げる。
「白百合《しらゆり》の布《ぬの》」を形成するため、学院全員の騎士たちの想いを重ねる。
学院全員の騎士たちは唱える。
『――咲《さ》け! 白百合《しらゆり》の花《はな》よ! 空想の箱、開錠《かいじょう》! 来《こ》い! 白百合の布!!』
この世界を統べる後宮王《ハーレムキング》の物語における最初の結末は――。