アマチュア生活11周年(エッセイ)
11年前の自分は、あまりにも視野が狭かった。
小説なら誰でも書ける。
俺の考える世界ならば、きっと大ヒットできる!
そう思っていた時期がありました。
実際は書くことにも技術が必要です。
小説は1冊の本に「物語の法則」とか「ヒーローズ・ジャーニー」とか「貴種流離譚」とか「起承転結」とか「序破急」とか「行って帰る物語」とか「マイナスからプラスになる物語」とか、いろんな技術が詰め込まれています。
そのことを知らずに文章を書くと、シッチャカメッチャカな物語と呼べないようなアマチュア小説になってしまいます。
まぁ、そんなことよりも私には皆さんに伝えたいことがあります。
小説を書きたい人は、小説を書くだけでは、もちろんダメですし、小説を読むだけでもダメです。
自分の今、置かれている状況を俯瞰して見ることも大事です。
普段見なかったものを見ることも大事です。何か発見があるかもしれない。
外へ出て、景色を見る。
なぜ、落ち葉が、あんな色をしているのか、調べる。
あの動物は、どんな動物だろう。調べる。
スーパーへ行って、肉や魚や野菜や果物を見る。調べる。
いろんな情報が出てくる。それは、とても奥深いことなのです。
自分を理想化すると、視野が狭くなります。
俺は未来の大作家になる人間だ! 俺は、この環境から抜け出したい! でも、いずれ、なるから覚悟しとけよ! 俺を敬わないのがおかしいってことを証明してやる!!
……と、思う人がアマチュア小説家の大多数だと思います。もちろん私も含む。
ただ、何かをめざすだけでも、一生じゃあ全然足りない。足りなすぎる。
そして、大多数の人間がウィキペディアに載るような存在にはなれない。著名人になることは難しい。人に知られることは、とても難しい。
そのうえで自分を俯瞰する。足りない技術は何だろう、と模索する。
その中で時間は常に流れていきます。
いずれ来る「死」にも、いつかは目を向けなきゃいけない。
いつまでも親が生きているわけでもない。
もしかしたら親より先に自分が死んでしまうかもしれない。
その中で自分が何をやりたいのか、を考えるのか? 逆に考えないで何かをやるのか?
……そんなことを私は思うようになりました。
まだ視野は狭いと思いますが、これからの人生は私が変えていけると思っているので、私の好きなように、好きに過ごすようにしたいと思います。
この世界には、まだまだ発見されていないことがたくさんあります。
すべてを知ることは、絶対に無理。
図書館にある本を、すべて読むのは絶対に無理。
私たちの脳にも限界があります。
ひとつの脳で、すべてができるほど、人間の脳は万能ではない。
みんな今を生きるのに必死。
もしかしたら考える暇なんかないのかもしれないですね。
そんなことを考えながらアマチュア生活が11年、経過しました。
まだまだできることはあると思う。
でも、何をするかは取捨選択しなければ。
人生は一度きりです。
ということで、アマチュア生活11周年の記事でした。
これが私の今の結論です。
お読みいただき、ありがとうございました。