LSD《リリーサイド・ディメンション》第56話「すべてを知ったあと」
*
――ごとり、と音がした。
黒髪の少年であったユリミチ・チハヤの中から、白髪の少女であるリリアらしき者が現れた。
かつて百合世界に存在していた彼女たちは理解した。
ユリミチ・チハヤと呼ばれた少年の正体が、実は、あの伝説の女神であるリリア本人であったということを。
リリアは空のエルフであるエルシー・エルヴンシーズであり、ほかの四体のエルフもリリアから分化した存在であるということを彼女たちは瞬時に理解した。
この世界が、ユリミチ・チハヤによって仕組まれたものであるということ。
いずれ、この世界が消滅するということ。
消滅を回避するには新次元を構築し、新たな宇宙をつくり出す必要があるということ。
――わたしたちは騙されていたのだ。
ユリミチ・チハヤは、あの世界から逃げ出したかったのだ。
LSDという幻覚剤を飲まされる苦痛、男から姦淫されるかもしれないという恐怖、新人類と花人類の間にある主従関係、それがユリミチ・チハヤが逃げ出した理由である、と百合世界に存在していた彼女たちは理解してしまった。
この世界が消滅してもいいとユリミチ・チハヤは望んでいた。
今までユリミチ・チハヤと彼女たちがやっていたことは、おとぎ話のようなものであり、この世界が消滅する事実は変わらないということ。
この世界が消滅することに対して、なにか対策をするのなら、かつての敵であった薔薇世界の男たちと協力しなければならない――。
「――チハヤさま?」
水のエルフであるミスティ・レインウォーターが白髪の少女へかけよる。
「これは、いったい……どういうことですの?」
「それは騙していた本人に聞くのが一番だと思うが、また彼女は忘れてしまうだろうな。おまえも分身であるなら理解できるはずだろ? 水のユリミチ・チハヤ」
「わたくしも、チハヤさま……?」
「つまり、あたしたちも、もとはチハヤから生まれた存在だったということかよ?」
「火のユリミチ・チハヤ……その通りだ。本来おまえたちは分化してはいけない存在だったんだ。だから百合道千刃弥に帝を倒させる必要があった。彼女が書いた小説である『リリーサイド・ディメンション《Lily Side Dimension》』をもとに四体の帝を倒してレベルアップしてもらい、もとの遊里道千早……風、火、水、地、空の五属性を持った存在にしなくてはいけなかった……そうしなければ、新次元を創造することはできない」
「難しいことはよくわからないけど、とにかく、この状況は、なんとかしなければいけないね」
ランディアが事情を話すリーダンに言った。
「そうだな……地のユリミチ・チハヤ。そうだ……五闇の指輪を貸してあげよう」
リーダンはランディアに、黒い宝玉がはめ込まれた指輪を渡した。
「五闇の指輪は風、火、水、地、空の五属性のすべてが融合した闇の指輪だ。これで風のユリミチ・チハヤの心器である指輪を修復するといい。そうすれば、風のユリミチ・チハヤは復活する」
「これを使えば、アリエルは復活するんだね……」
……ありがとう、とは言えない。
もともと彼女たちと彼らは敵同士だったのだから。
それに今、百合道千刃弥は存在しない。
遊里道千早という白髪の少女が存在するだけ。
「さて、おまえたちの勇者だったユリミチ・チハヤは俺たちが預かる。俺たちは生き残らなくてはいけないのだからな……」
「ちょっと待ってください!!」
チルダ・メイデン・ゴーストバレー――幽谷映子が叫んだ。
「こんなこと、急に納得するわけないじゃないですかっ! わたしたちの勇者さまを返してくださいっ!!」
「納得するもなにも、そういう問題ではないのだ。もう、あれから二千年の時間が経過している。いくら寿命が伸びているにしろ、もう残された時間はないんだぞ。このことは早急に対応しなくてはいけないんだ。わかってくれよ。このままじゃ、俺たちは……」
「わたしは、ユリミチ・チハヤという、ひとりの勇者を取り戻すため……心器を使いますっ!」
チルダは口上を省略し、叫ぶ。
「透百合の紗っ!!」
チルダが叫んだあと、百合世界に存在していた少女たちが透明な膜に包まれる。
膜に包まれた瞬間、彼らのアジトから少女たちは消えた――。
「――逃げられたか」
「そうみたいですね」
リーダンとブルーノは彼女たちが、どこかに転移したことを理解した。
「万里奈……」
「逃げられちゃいましたね、ルイ……ご愁傷さまです」
「そうだな。でも、また会えるさ。この世界は完全に融合したのだから――」
*
――彼女たちの逃げた場所は想形空間だった。
チルダの心器である透百合の紗は異空間に転移する能力を持っていた。
エンプレシア全域を模した空間の中で、エンプレシア城を模した部屋の中にあるベッドでユリミチ・チハヤは横になっていた。
その隣にはアリエルが横になっている。
「それで……この状況をどうしたらいいんだ?」
アスターが苦悩に満ちた表情で声を出す。
「私たちは後宮王に騙されていたんだ! なのに、どうしてチルダは彼らから逃げる選択をしたんだ!?」
「わたしは、まだチハヤさまを信じていたいのです……」
「そうですわね……わたくしもチルダと同意見ですわ……」
マリアンは、この現状を理解しているようだ。
「わたくしがチハヤの母親の遺伝子と同じものを持っていると知って、どうしてチハヤがわたくしを受け入れてくれなかったのか、という謎を知ることができましたわ」
「でも、それなら、あたしたちエルフだってチハヤから五分割された存在のはず……アリエルに恋するのは、おかしくない?」
「でも、あたしたちは帝《みかど》を倒すときに『恋』がトリガーになっていたじゃん? 属性が違うし、完全に同じというわけじゃないんじゃないの?」
「フラミアとランディアの言う通りかもしれませんわね……わたくしも、まだ自分がチハヤさまと分かれた存在であるということに納得できていませんわ」
「そうですわね。風、火、水、地、空のチハヤが存在する、と言われてもピンと来ませんものね」
フラミア、ランディア、ミスティの言うことに対して、マリアンも同意した。
「とにかく、いずれ世界が消滅するかもしれないという危機に、わたくしたちができることを考えなくてはいけませんわね」
「そんなの、決まっているだろう!!」
突如、ユリミチ・チハヤの寝ているベッドの前に現れたフィリスは怒るように言う。
「こいつを薔薇世界の連中に引き渡せばいい! そうすれば新次元の構築は完了し、新世界への扉は開かれる! それで、この件は、おしまいだ!!」
「フィリス、落ち着いてください! ワタシも、そのほうがいいとは思いますが、それはチハヤが死ぬということなんですよ! チハヤの気持ちも理解してあげてください!!」
「黙ってろ、アリーシャ! いや、天山有紗っ! おまえの誕生も、すべて仕組まれたものだったんだ! 最初から、すべて予定通りにことが運んでいたんだ! 神託者は前世が存在する花人類だったんだよ! 神託者は二千年間、何度も生まれ変わることができていたかもしれないが、私たちは違う! この世界で生き、この世界で死ぬ存在だ! だから、このくだらない物語を終わらせる選択をユリミチ・チハヤに取らさなければいけないんだ! そうしなければ、この世界は……終わる」
『…………』
フィリスの言うとおりだった。
この物語を終わらせるにはユリミチ・チハヤという存在を薔薇世界の連中に引き渡さなければいけない。
もう、彼女たちには……時間は残されていない。
選択の瞬間は……目の前まで来ている――。