悩みを打ち明ければ打ち明けるほど人が離れていく感覚について(エッセイ)
……自分でも、どうしたらいいのか、よくわからないんだ。
私は、あくまで「自分」を演じているのに過ぎないのだけど、演技しないと私自身を受け入れてくれる人がいない気がして……というよりは、もはや演技をしてもダメな領域まで来ているというところが問題なのだ。
他人にどうしたいの? と、よく言われるが、私の感覚的なものとしては「私がよければ、それでいいのだ」ということなのである。
だけど、それが許されない場合、私は独りになるしかないのだ。
現状、他人だろうが友人だろうが、とりあえず人に相談してみても、「私にとって、心地の悪い正論」を言われて、改善しよう、と言われる。
そうだよ。そうだよ。そうなんだよ。
つまり、「私が悪い」のだ。
私が悪いから問題が発生するのだ。
けど、取り止めのない、改善しようのない、改善するべき問題ばかりが浮かんで、その、どうしようもない「こと」を解決するには、私が「私じゃなくなる」くらいの改変レベルの努力が必要になってくるのだから、結局、努力がついて回るようになっているのだ、この世の中は、クソゲーだね(苦笑)
だけど、問題は、そこではなくて、その、私が悩みを打ち明けたとき、私の悩みが「こうすればいい」と言った相手の想いに対して「しない」から、その相手の怒りのゲージが溜まってしまうのである。
私の悩みは相談した相手の気力をダウンさせるものなのであるから、「私の問題」になっているのだ。
相手は相手で私に対して悩んでいるのだが、私も私で私に対して悩んでいる。
原因が「私」なのだから、ちょっとだけ○にたくなる。
それは、どうしようにも変えられない部分なのだけど、しょうがない、で見過ごすには、だいぶ重たい。
変えられないものは変えられないし、変えたくても、変わろうとしても、変われないものだってある。
その狭間が、今は、つらいのだ。
人が離れたら、嫌だけど、それはもう、どうしようもないことである。
だって、私は、そういう人間なのだから。