DRB《データレイド・バトルフロント》第4話「茶園夏葉《ちゃぞの・なつは》と情報魔物《データモンスター》と死神再臨」

  *

 転入初日の午後。

 色取学院いろどりがくいんで行われたオリエンテーションや初ホームルームを終え、二年エックス組のクラスメイトに簡単な自己紹介を済ませてから校舎を出ると、すでに夕方近い時間になっていた。

 クラスでは不良たちの暴力を目の当たりにし、わたしは正直クタクタ。

 早くアパートに帰りたくてたまらない。

 ところが、帰り道の地図アプリがうまく動作しない。

 GPSが妙にノイズだらけで、大通りを外れて一本入ったつもりが、ふと気づけば見覚えのない狭い裏通りに入り込んでいた。

 廃ビルが立ち並び、夕日に照らされても薄暗いままで、不穏な雰囲気が漂っている。

「こんな路地……地図にも載ってないよね……」

 呟きながらスマホを見ても、画面がバチバチとノイズを吐いて役に立たない。

 冷たい風が吹き抜けて背筋がざわりとした。

 人影もないし、さっさと引き返そうかと思いつつも、迷ったせいでどこを引き返せばいいか分からなくなってしまう。

(うわぁ、最悪……まさか初日から迷子って。兄を探すのはおろか、自分がこんな始末じゃ情けない……)

 そんな自嘲気味の考えを巡らせながら裏道を右往左往していると、不意に鼻を刺す嫌なニオイが漂ってきた。

 ジメッとした腐敗臭みたいな、そんな不快な匂いだ。

 頭の奥がキンと痛むほど。

 わずかに先へ進んだところで、姿勢がおかしい人のような影を見つける。

 薄暗くてはっきり見えないが、微妙に動きがカクカクしているのが分かる。

 まるで糸で吊られた人形のようなぎこちなさ――。

「誰……? 大丈夫ですか……?」

 ちょっと声をかけてみるが、返事はない。

 その代わり、そいつはこちらへ振り向き――腐った歯がむき出しの口をがちがちと鳴らした。

「え……?」

 そいつの顔面は、まるで死んだ人間。

 肌がどす黒く変色し、ところどころ裂けて白い骨が覗いているようにも見える。

 映画やゲームで言うゾンビそのものの姿。

「ぞ、ゾンビ……!? 嘘っ、なんで……」

 息が詰まりそうなほどの恐怖。

 こんなもの、現実にいるはずがない。

 体は完全に硬直。

 声を出そうにも、喉が震えて何も出ない。

 ゾンビは空気を引き裂くような低いうめき声をあげ、腐った腕をひきずりながら近づいてくる。

 もう見ているだけで吐き気を催すような光景。

 ここで立ち尽くせば確実に死ぬ――そう察した瞬間、わたしの体は本能的に走り出していた。

「いやあああああぁぁぁぁぁぁっっっっっっっ!!」

 無我夢中で路地を駆け出す。

 後ろからゾンビがぎこちない足取りなのに意外と速く追いかけてきて、地面をズルズルとこすりながらぺちゃぺちゃと気味悪い音をたててくる。

 頭が真っ白になるなか、「逃げなきゃ」という思いだけで動いていた。

 細い路地を右へ曲がり、左へ曲がり、何度も曲がる。

 自分がどっちに進んでいるか分からない。

 呼吸が乱れて、心臓が早鐘を打つ。

 足がもつれそうになりながら、それでも必死に前へ進む。

(助けて、誰か、助けて……!)

 心の中で叫んでも、辺りに人はいない。

 しばらく走ったあと、視界の先には――コンクリート塀。

 完全に閉鎖されている。

 飛び越えられる高さじゃないし、回り道もなさそうだ。

「はぁ、はぁ……やだ……どうして、行き止まり……!」

 立ち尽くすわたしの背後から、ゾンビの足音が近づいてきた。

 腐臭が強まって、吐き気までしてくる。

「ま、まって……来ないで……」

 だが、ゾンビに言葉は通じない。

 腕が振り上げられる。

 そこから覗く筋肉や骨、まるでおぞましい人形のように崩れそうで崩れない身体が、私を襲うために勢いを増している。

 自分が死ぬ――そのイメージが目の奥によぎり、涙が止まらない。

「や、やだ……こんなところで……」

 ゾンビが大きく唸り声をあげ、腕を振り下ろす瞬間。

「――黒弾ブラック・バレット

 誰かの声が路地に響き渡り、直後、黒い閃光が横から飛来した。

 その黒い弾丸のような衝撃がゾンビに命中し、ドスンッと低い爆音が鳴る。

 ゾンビの身体がどす黒い液体を撒き散らしながら吹き飛んだ。

「う、うそ……」

 わたしは地面にへたり込みながら息をのむ。

 ゾンビはまだピクピクと動いているが、胴体が半分消失している。

「……まだ残ってるか」

 暗がりから現れたのは、黒いフードを深くかぶった謎の人物。

 まるで死神を連想させるようなシルエットをしている。

 その人物がもう一度、自身の銃から黒弾ブラック・バレットと呼ばれる攻撃を放つ。

 黒い光がゾンビの頭を直撃し、腐った肉片が勢いよく飛び散った。

 ゾンビが醜悪なノイズのような断末魔をあげ、あっという間に崩れ落ち、塵みたいに消滅していく。

「……はぁ、はぁ……」

 わたしはその場に座り込んだまま、何も言えず肩で息をしている。

 さっきまであのゾンビに追われていた恐怖が尾を引き、足が震えて立てそうにない。

 死神のような人物は、漆黒の端末から立ち上る煙を振り払うように手を動かし、わたしのほうへ向き直った。

「怪我……してない?」

 フードで顔が隠れていて、声からして性別もはっきりしない。

 落ち着いたトーンでそう問いかけられ、わたしはかすかに首を振る。

「助けてくださって……ありがとうございます。えっと、あなたは……」

 死神は一瞬、黙ったままわたしを見下ろすように立ち尽くす。

 そしてわずかに溜息をつくと、言いにくそうに口を開いた。

「……あれは情報魔物《データモンスター》だ。DBD後、歪んだフィクティウム情報が人間の負の感情に引き寄せられ、ああいう形で実体化する。略称は情魔《デーモン》……世界のほころびの残滓みたいなものさ」

 わざと自分のことを語らないようにしている……?

 死神からは、どこか達観した雰囲気が漂っている。

 わたしは、まるでゲームの世界を聞かされているような気になった。

 だが、今まさにゾンビに襲われたのは事実。

「そんな……じゃあ、あれは本当に人間じゃないんですね? 情報が歪んで化け物に……」

「そう。あまり深入りしないで。普通の人間には手に負えない」

 死神はそう言い捨てて、懐から注射器を取り出した。

 淡い蛍光色の液体が揺れている。

(こんな怪物から助けてくれた人が、どうして注射器を……?)

 警戒心が呼び起こされるが、死神は有無を言わさぬスピードでわたしの腕を掴んだ。

「あ……! でも……! 教えてくれて、ありがとうございます。わたし、兄を探すためにここへ――って、え? 何するの、ちょっと、やめ……」

 針がわたしの皮膚に刺さる。

 ひどく冷たい液体が血管を伝わる感触。

 痛いというより、身を凍らすような異質な感触だ。

 必死に腕を引き離そうとするが、死神の力は強い。

「今は眠れ」

「は……? ちょ、ちょっと待って――」

 死神はさらに何かをわたしの首筋に押し当てる。

 カチリという音とともに、電気ショックのような軽い痛みが走った。

「あ……」

 わたしは抗議の言葉を出す間もなく、意識が急激に薄れていくのを感じる。

 暗闇が視界を覆い、地面に倒れる感覚。

 最後に死神の口が動いた気がするが、その言葉はもう聞き取れなかった。

  *

「……ん、う……」

 気づけば、わたしは自分の部屋のベッドで横になっていた。

 カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。

 時計を見ると、転入初日を終えた翌日の朝。

 日付すら変わっているみたいだ。

 ここまでぐっすり眠っていたのか、それとも――。

「あの死神、無理やり注射して、わたしを眠らせた……?」

 ベッドから起き上がろうとすると、右腕にうずくような軽い痛みがあり、赤っぽく刺された痕が残っている。

 その記憶が蘇り、一気に体が強張る。

 ゾンビとの戦い。

 死神の黒弾……。

 全部夢ならどれほどマシだったかと思うが、痛みは夢じゃないと教えてくれる。

「誰かに連れて来てもらったの? それとも自力で戻った……? 全然覚えてない……」

 鍵はしっかりかかっているし、部屋の様子は荒らされた形跡もない。

 わたしは苦い顔でため息をつく。

 こんなの普通じゃないし、詳しい説明もなしに薬を打たれたなんて、たまったものではない。

 とはいえ、ゾンビから助けてもらったのは事実だし、複雑すぎる。

「一体なんなの、この街……」

 DBDの影はまだ色濃く残っていて、情報魔物データモンスターが平然と出没する。

 さらに謎の死神が現れ、強制的に注射をされ、気絶して朝を迎える。

 転校前は「兄を探す」「学院生活を送る」くらいの気持ちだったのに、もうそれどころじゃない事態に足を突っ込んでいるらしい。

 それでも、今日も学校がある。

 クタクタだけど休むわけにはいかない。

 兄を捜す手がかりも、クラスの闇も、情報魔物の話だって――すべて向き合わなきゃ始まらない。

「はぁ……やるしかないか」

 頭を振って気を取り直す。

 朝食を簡単に済ませ、制服に着替える。

 腕の痛みを少し我慢しながら、わたしはアパートのドアを開けた。

 まぶしい朝の光が広がっていて、まるで昨日の恐怖が嘘のように思えそうになる――でも、腕の痕だけは事実を残している。

  *

「ゾンビ型の情報魔物データモンスター……情魔デーモン……死神……。わたし、どうなっちゃうの……」

 そう心につぶやきながら、わたしはアパートの階段を駆け下りていく。

 この街には、まだまだ知らない危険や秘密が潜んでいる。

 昨日の死神はいったい何者なのか、どうしてわたしに薬を打ったのか、疑問は山積みだ。

 でも、兄を探す――その目的は変わらない。

 加えて、クラスで孤立している黒木青春くろき・あおはるくんのことも気になる。

 学院には不良たちがうろつき、オリエル教の理念は名ばかりとも聞く。

 わたしが一歩踏み出せば、何かが変わるかもしれない。

 それが自分のためにも、兄のためにもなるなら、怖くても行動するしかない。

 こうして、わたし――茶園夏葉ちゃぞの・なつははゾンビ型の情報魔物データモンスターの襲撃に遭い、死神のような謎の人物に救われるが、強引に薬を注射されて気絶。

 気づけば自宅アパートで朝を迎え、何が起きたのか、確かなことは何も分からないまま……。

 黒弾を放つ死神の正体、ゾンビ型情報魔物データモンスターの脅威、そして夏葉なつはが背負う兄探しの使命。

 すべてが交差し、また新たな運命の扉が静かに開き始めるのだった。

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