「毒親」という名の成長痛
「毒親に育てられた」という言葉は、現代社会において頻繁に耳にするようになった
『育ち側目線』からの目的を、ボヤいてみようかな~( ´艸`)
確かに、
『時代にそぐわない価値観を持った親』や『子の独自の感受性とマッチしない親』のもとで育った子どもは
心の傷を負い、大人になっても その影響に苦しむケースはあるだろう
まぁ。。。少なからず
わたしも 親が重かった
『毒』とまではいわないが
『足かせになる親』
ってところかな~
しかし、だからといって
自身の「もっと自分らしくありたい」「もっと自由になりたい」の
責任を すべて親に押し付ける ことは、問題解決には繋がらない。
なぜなら、どんな状況下においても
人は自らの人生を選択し、責任を持つことができる
からだ
『キレイごと』に聞こえるかもしれないけど、わたしはこの本を読んだ時に
「かくありたい」と思った
ここが【魂のレベルの差】なのではないかと感じたからだ
草木もヒトもみな、【魂を磨くべく】この世に生を受ける
各自に『生まれた意味』があり、その使命を果たすために苦難は降ってわく(乗り越えるためよ~。かわしちゃダメよん)
魂に傷が付けばつくほど、研磨され 光り輝く玉となる
「毒親に育てられた」という言葉は、確かに強い言葉であり
使い易い言葉だけど
つまりそれを 安易な言い訳 として利用することは勿体ないんじゃないかな~
と、わたしは思う
いくつかの主張や、毒親本を読んで受けた印象は
親の責任に転嫁するために利用できる便利な道具としての『毒親育ち』と感じることもあった
ここが、わたしの違和感だった
ところで、話は がッっと 飛ぶけど💦
人が、泣きながら生まれてくる意味は
「しまった~」との後悔なんだと聞いたことがある
天は、本当に快適で 安心 と 慈悲 に満ちているところらしい。。。
この世の、世知辛い地獄のような場で『罰』(罰ゲームのような育児💦)を
受けるように 魂に傷を入れながら
磨き上げていく。。。。
目標達成までは、天には帰れない。。。
天にいた時は、志高く
「ヨッシャ! 行ったるでぇ~」と志願したものの
地上に降り立った瞬間に我に返り
「しまった~」との後悔するんだってさ💦
慈悲深い天からの「早く帰っておいで」という優しい親心から手助けが
自分自身の問題 や 困難を 深く理解するためのきっかけ
つまり、
『時代にそぐわない価値観を持った親』や『子の独自の感受性とマッチしない親』のもとで
30年以上も育つ = 上物の研磨剤進呈 なんじゃないかな
せっかくの天からのギフトを、
活用しないなんて勿体ない
じゃんね と、マゾYASUKOは考えるわけです
「毒親に育てられた」という経験は、ギフトよ!!
人生に無駄は無いのよ!!
わたしの57年の苦しみは、無駄じゃないのよね~
高尚な神の思し召し遂行のための、尊い使命なわけさ!!!
さ。
がんばろう~~~
ふ~ぅ
今日の癒しは、モックンです
キレイすぎる!!