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「毒親」という名の成長痛

「毒親に育てられた」という言葉は、現代社会において頻繁に耳にするようになった
『育ち側目線』からの目的を、ボヤいてみようかな~( ´艸`)


確かに、
『時代にそぐわない価値観を持った親』『子の独自の感受性とマッチしない親』のもとで育った子どもは
心の傷を負い、大人になっても その影響に苦しむケースはあるだろう


まぁ。。。少なからず
わたしも 親が重かった

『毒』とまではいわないが

『足かせになる親』

ってところかな~


しかし、だからといって
自身の「もっと自分らしくありたい」「もっと自由になりたい」
責任を すべて親に押し付ける ことは、問題解決には繋がらない。

なぜなら、どんな状況下においても

人は自らの人生を選択し、責任を持つことができる

からだ

 フロイトは、人間は極限の観飲の状態に置かれたら、人を殺して人肉 を食べてでも生き残ろうとするだろうと言っていました。
 
 誰でもみんな悪魔のようになる、そこに選択の余地はないと、フロイトは言っていたのです。
けれども、ナチスの収容所で 実際にそういう極限状態に置かれた時にフランクルが見たのは、フロイトが指摘したのとはまったく違ったことでした。
極限状態に置かれた人間は、自身の選択によって、悪魔と天使に分かれた

 それが、フランクルの観察した「事実」でした。
同じ極退状態にあっても、死にそうになっ仲間からパンを奪って生き延びようとする人もいれば、自分も苦しいのにもっと苦しそうな人に自分のパンを分け与えた人もいたのです。
 つまり極康状態においてさえ人間は、自分の生き方を「自己選択」していた、とフランクルは言うのです。

「本当の大人」になるための心理学 諸富祥彦著


『キレイごと』に聞こえるかもしれないけど、わたしはこの本を読んだ時に
「かくありたい」と思った

ここが【魂のレベルの差】なのではないかと感じたからだ

草木もヒトもみな、【魂を磨くべく】この世に生を受ける
各自に『生まれた意味』があり、その使命を果たすために苦難は降ってわく(乗り越えるためよ~。かわしちゃダメよん)
魂に傷が付けばつくほど、研磨され 光り輝く玉となる


「毒親に育てられた」という言葉は、確かに強い言葉であり

使い易い言葉だけど

つまりそれを 安易な言い訳 として利用することは勿体ないんじゃないかな~
と、わたしは思う

いくつかの主張や、毒親本を読んで受けた印象
親の責任に転嫁するために利用できる便利な道具としての『毒親育ち』と感じることもあった
ここが、わたしの違和感だった


ところで、話は がッっと 飛ぶけど💦


人が、泣きながら生まれてくる意味は
「しまった~」との後悔なんだと聞いたことがある

天は、本当に快適で 安心 と 慈悲 に満ちているところらしい。。。
この世の、世知辛い地獄のような場で『罰』(罰ゲームのような育児💦)を
受けるように 魂に傷を入れながら

磨き上げていく。。。。



目標達成までは、天には帰れない。。。


天にいた時は、志高く
「ヨッシャ! 行ったるでぇ~」と志願したものの
地上に降り立った瞬間に我に返り
「しまった~」との後悔するんだってさ💦

慈悲深い天からの「早く帰っておいで」という優しい親心から手助け
自分自身の問題 や 困難を 深く理解するためのきっかけ

つまり、
『時代にそぐわない価値観を持った親』や『子の独自の感受性とマッチしない親』のもとで 
30年以上も育つ = 上物の研磨剤進呈 なんじゃないかな


せっかくの天からのギフトを、

活用しないなんて勿体ない

じゃんね と、マゾYASUKOは考えるわけです


「毒親に育てられた」という経験は、ギフトよ!!

人生に無駄は無いのよ!!

わたしの57年の苦しみは、無駄じゃないのよね~
高尚な神の思し召し遂行のための、尊い使命なわけさ!!!

さ。
がんばろう~~~

ふ~ぅ

今日の癒しは、モックンです
キレイすぎる!!

まさに!! 天からのギフト



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