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私的読書週間


今私は今年の本屋大賞ノミネート作をせっせと読んでいる。既に大賞は発表されてはいるが、最終候補に残った10作はやはり読んでおきたい。あと1冊で読破だ。そして直近に読んだ3作が、その内容といい、読んだ順番といい、私の中で読後の後味を噛み締め消化するのに、とても良い読書になった。


noteでいろんな方の記事を読ませていただく中で、不思議なリンクというものがある。例えば、ある日の朝、たまたま読んだ記事に、私の大好きな言葉が引用されていた。私の“座右の銘”である。嬉しくて思わずコメントをして、その方もその言葉が大好きだと返事をくださった。そしてその日の午後、その言葉とは全く関係のない小説を読んでいると、その小説の最後のほうに、またもやその言葉が登場して、「全く、なんて日だ」と私は一人テンションが上がった。こういう経験は誰かに話したくなるものの、この嬉しさというのはなかなか他人には理解してもらいにくい。


さて本屋大賞ノミネート作の3作だ。まず1作目、仕事も恋愛も自分の思うようにはいかないことをずっと誰(何)かのせいにしていた女性が、結局何かを決めているのは自分自身であり、幸せを感じるかどうかも自分次第であることに気付く物語。
2作目では、生きづらさを感じ悩み苦しむ中で前に進むことを諦めかけている人の背中を押すのは、親しい人の言葉や偉人の名言ではなく、たまたま出会った縁もゆかりも無い人との会話の中に解決の道があると教えてくれる。であれば、誰にでも前に進むチャンスは生まれる。それをキャッチ出来るかどうかだ。そしてこの作品には、生物画家、地震研究者、珪藻アート、伝書鳩、風船爆弾など普通の人にはあまり縁の無さそうなワードが登場する。何かを調べたければネットで検索するのが今どきだが、図書館で本を借りるという手もある。
そして3作目、偶然の出会いが背中を押すのは人との出会いだけでは無い。本だ。図書室の司書さんとの“リファレンス”で勧められた本。何故司書さんがその本を勧めたのか?一見自分の求める答えがそこにあるとは思えない本の中にこそ、生きるヒントがあった。本との出会いにお礼を言う利用者に対し、司書さんはこう言う。

あなたが自分で必要なものを受け取っただけ


今こうして私が3冊の本を連続して読み終えた事、読む本も読む順番もたまたまそうなっただけで、そこに何の意図も無かったのに、まるでそうする事で私にさらなる読書の楽しみ方を教えてくれたかのような経験だった。そこには背中を押してくれる友人も司書さんも介在していないのに。私は自分で自分が必要なものを受け取ったのだ。
さらに3作めの終わりには、私の好きなあの言葉を、さらに上書きするかのような文章が出てきた。


私の座右の銘はこれ。
『今日という日は、残りの人生の最初の日』


3作目に登場した文がこれ。
『わたしが生まれた日と、ここに立っている今日、そしてこれから来るたくさんの明日。どの日だって、一日の大切さになんの違いもない。』


全く、なんて日だ。


1作目 『自転しながら公転する』/山本 文緒

東京のアパレルで働いていた都は母親の看病のため茨城の実家に戻り、地元のアウトレットのショップで店員として働き始めるが、職場ではセクハラなど問題続出、実家では両親共に体調を崩してしまい……。恋愛、家族の世話、そのうえ仕事もがんばるなんて、そんなこと無理! ぐるぐる思い惑う都の人生の選択から目が離せない、共感度100%小説。

2作目 『八月の銀の雪』/伊与原 新

不愛想で手際が悪い――。コンビニのベトナム人店員グエンが、就活連敗中の理系大学生、堀川に見せた真の姿とは(「八月の銀の雪」)。会社を辞め、一人旅をしていた辰朗は、凧を揚げる初老の男に出会う。その父親が太平洋戦争に従軍した気象技術者だったことを知り……(「十万年の西風」)。科学の揺るぎない真実が、傷ついた心に希望の灯りをともす全5篇。

3作目 『お探し物は図書室まで』/青山 美智子

お探し物は、本ですか? 仕事ですか? 人生ですか?
人生に悩む人々が、ふとしたきっかけで訪れた小さな図書室。
彼らの背中を、不愛想だけど聞き上手な司書さんが、思いもよらない本のセレクトと可愛い付録で、後押しします。


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