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村上春樹はエモい。

 昔々と言った方がいいのかもしれないのだけれど、ティーンな女の子たち、要するにある種の退屈に生きる女の子たちにとって''エモい''っていうのは非常に重要な感性であるのだと思う。

誤解を恐れずにいうけれど、大抵のティーンは暇を持て余し退屈していると僕は考える。

僕がティーンであった頃、見知らぬ大人に退屈だろうと言われたら腑煮え繰り返っていただろうが、やはりあの頃の僕は暇を持て余していた。

退屈で暇だからこそ、''エモい''を五感いっぱいに感じる余裕があるのだろう。

 それは時に、ミルクティー色の朝焼けであるし同時にピクニックで食べるBLTサンドであるし、恋人から香るシャンプーであったり甘ったるい囁きであったり、重なるたっぷりと妖艶さを含んだ唇であるのかもしれない。

そんなような、一見どこにでも転がっているような出来事にティーンは大いなる余裕を持って、日々挑んでいるのだろう。

モラトリアム、社会から宙ぶらりんなティーン達だからこそ、そこに''エモい''を感じることができるのだ。

 一方で、大抵の大人と呼ばれる人たちは''エモい''を理解できず、受け入れようとすることもない。

しかし、彼ら大人もティーンな時代があったはず。

ではなぜ、あの頃に感じていた''エモい''を同じように感じることが難しくなったのか。

六畳一間の曇り空から漏れる光に淡く照らされた布団の上で唇を重ねるその度に、
''エモい''と感じるその余裕をファミリーマートのゴミ箱に捨ててしまったからだ、と僕は考たり思ったりする。

ここで注意を促したい。

ファミリーマートではなくてセブンイレブンでもローソンでも、この場合大した影響はない。


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 丸善だとか紀伊國屋だとか、駅前の大通りにどしりと構える本屋にふらっと入る。

綺麗な装丁の新刊が所狭しと並ぶ棚を横目に見ながら、奥の棚に歩を進める。

おそらく、村上春樹の本は大抵の本屋に置いてあると思う。

この本屋もやはり例に漏れず棚の端から端まで村上春樹が占領している。

僕は棚を左から順に眺め、スッと一冊を引き抜く。

表紙に『カンガルー日和』と印刷されている。

何がどうなって、どういった因果律でカンガルー日和なのだろうか。

行楽日和ではダメなんだろうか。

そんな疑問にはベン図を書くとスッキリ解答できる。

大きな円の中に小さな円を書いてみる。

大きな円は行楽日和では、小さな円はカンガルー日和だ。

カンガルー日和は行楽日和に内包されると考えるとうまく腑に落ちる、と僕は思う。

要するに、カンガルー日和は行楽日和よりも更に厳しい事象なのだ。

 後楽日和というだけではあらゆるものが欠損しているが、その一方、カンガルー日和には綻びが少ない。

 僕はその『カンガルー日和』を片手に、ちょうど女の子が新しい口紅を買う時みたいな気持ちでレジに向かう。

店員さんにレジ袋は必要かと聞かれると、即座に要らないですと答える。

変な癖がついてしまった。

本当に必要な時にも要らないといってしまう。

たとえ、コンビニで温めた熱々の豚骨ラーメンだったとしても。

僕は人々とすれ違うたびに、辱めを受けることとなった。

あいつ、コンビニラーメンを抱えて歩いているよ。と後ろ指を刺されるのは必至だから。

 さて、カバンに新しい『カンガルー日和』をしまって、裏通りに面した出口から本屋を後にする。

表の大通りと違って人は疎らで、いくらか湿っぽい。

僕は駅と反対方向に歩き出す。

そのさきにちょっと本を読むのにちょうどいいカフェがある。

向こう側から女の子が歩いてくる。

決してとびきり美人とは言えないし、服装もいくら裏通りだからといって地味すぎる。髪も2ヶ月は美容院には行ってないだろうと思わせる仕上がりだ。

だけど、僕は一眼見て恋に落ちた。

ほんとは恋なんかよりももっと深いものに落ちたのだけれど、便宜的には恋といった方がわかりやすいことがある。

それがこれだ。

 僕は声をかけるべきか迷った。

だって、すれ違ってしまったらもう2度と会うことはないだろう。

次会えたとしても、相手には二人の子供がいるかもしれないし、僕はなんらかの理由で女の子と一緒になるのが難しくなっているかもしれない。
今しかないと、僕は考える。

頭の一方では話しかけろと圧がかかる。

けれども、声をかけるセリフを考えるまもなくすれ違ってしまう。

そして、チャンスは失われてしまう。

だって、すれ違った後に追いかけて「今すれ違ったものですが、お話いいですか」というのもなんだかおかしな話じゃないか。

僕は目的のカフェに入って、ダージリンティーとクッキーを注文して、『カンガルー日和』のページを繰る。

こんな男、情け無い。


悲しい話だと思いませんか。




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最後まで読んでいただいてありがとうございます!

今回は村上春樹さんの作品が大好きなので、それっぽいものを描きたいなと思って書きました。

私は個人的に村上春樹作品はエモいと思います。
なんとも言えない空気感やオシャレ感がエモい!!!笑
言葉にするのは本当に難しいですね。
語彙力をつけなくてはといつも思います。

私が特に好きなのは『カンガルー日和』に収録されている、『4月のある晴れた朝に100%の女の子に出会うことについて』です。
語彙力の限界なのですが、とにかく好きなものは好きなのです。
シティボーイ的な儚げな、周りくどく難しく考えてる感じ。
モラトリアムに特有な小難しさ。
大好きです。


同じく『カンガルー日和』に収録されている『1963/1982のイパネマ娘』も好きです。The Girl from Ipanema を聴きながら読むのに最適です。音楽のような小説。
形而上学的な女の子に心躍ります。


 人生を変えた一冊。それは私が一番最初に読んだ村上春樹作品である『1Q84』。
都会的で知的なセンチメンタリズム、要するにインテリオシャレな感じに引き込まれました。(インテリオシャレ...?)
『1Q84』を大学の図書館で手に取った自分を褒めてやりたいです。
出会えたおかげで、見る世界が変わったと言っても過言ではありません。
これも、モラトリアム特有のアレなのかもしれませんが...
今、楽しめているのだからいいでしょう!


村上春樹作品が好きな方と繋がれたら嬉しいです。


ぜひこちらもご覧ください!






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