メンタル地獄日記 -毒親総括(高校中退後〜)-
さて毒親の総括をしようとお伝えしていましたが、長くなりそうなので1回で終わる気がしない。
むしろ何回もかかる気がするので、今回は高校中退後から時系列順に語りたいと思います。
高校2年生のGW後、一年引きこもった後、フリースクール(フリースペース)みたいなところに通いながら一人暮らしを始めた。
皮肉なことに、勉強を頑張って頑張って『両親のいる環境(土地柄も含む)』から大学デビューで脱するという漠然とした夢が、学校を辞めることで、一年早く叶ってしまった。
ちなみに大学に入学したのは21歳の時。
『大学に行く』というのは僕の人生の外せない予定だったので、いつも通りの即席の勉強で、自分のことも鑑みて某大学の心理学科に入った。
その間の17歳から21歳までたまに親には会っていたし、『毒親』という言葉と概念も昨今ほど浸透していなかった。
更に今ほど関係も拗れていなかったし、今より病気の症状も軽微でした。
もっと言うなら若かったので『なんとかなる』と人生に対して今ほど焦りも感じていなかった、といったら嘘になりますが、自分よりマシな人を見ては自分の心を慰めていました。
少なくとも小中学校時代の、学校行って、週3~4日塾に行って、宿題に追われ、しょっちゅうある模擬試験で打ちのめされ、体調を崩し休みがちで、母から圧をかけられていた時代や、朝から夜まで通っていた高校に比べれば、天国だった。
だから、変な家庭ではあるにせよ、決定的にまで崩壊していると思っていなかった。
とはいえ離れてから、『やはりおかしいな』と客観的に考えるようにもなった。
これは17~21歳の時に感じた違和感。
①家族間の報連相がない
僕が家を出てすぐ、実家で猫を飼い始めたらしい。
それ自体は嬉しかったし歓迎することでもあったのだけれど、僕がそれ知ったのは飼い始めてから何ヶ月ほど経って実家に帰った時であり、その間「猫を飼い始めた」という報告は一回もなかった。
そして「そういえばウチって、TVドラマとかでやっている家族会議みたいな話し合い一回もしたことないな」そんなことを漠然と思いました。
②妹の姿が見えない
といっても、自分も妹とも仲が悪かったし、訊かなかった。
家族との関係をどんどん希薄にして自立したい、という思いも手伝ったのかもしれない。
これを放置した結果、後々にとんでもない事実が判明した。
なぜか高校は定時制に通い、17歳で妊娠出産、結婚、DV、離婚、裁判、元旦那刑務所、ということが発生していた。
妹は僕の4つ下なので丁度大学に入学する時あたりに起こった出来事、らしい。
『らしい』というのは、確固たる詳細を知らないまま、関係を絶ったから。
そしてこれを知るのは、更に4年後の25歳の頃。
丁度、大学卒業と就職活動でメンタルがどんどん死にかけている時だった。
この時『自分の家族』がおかしいと確信し、どんどん拗れていった。
③当時はさほど両親に対して固執していなかった
母が『世間体を気にする』『片付けられない』『暴力的感情的』『宗教にはまっていてそれを押し付けてくる』は、「一刻も早くこの環境から脱さないと」という自立心というか、逃避の感情は強まっても、俗にいう「親ガチャ外れた」という感覚だった。
父は仕事をして家にお金を入れてくれたし、母親は料理は作ったし、寝るところはあった。
『死亡するほどの、殺されるほどの命を落とすほどの虐待』ではない。
高校を出て、自立してからが自分の人生だ、などと思っていた。
だから『マシ』『贅沢など言えない』と思っていた。
事実、僕の日記を読んで「自分より全然マシやん」という人も多いだろうと思います。
『今日あなたが無駄に過ごした一日は、昨日死んだ人がどうしても生きたかった一日である』
よく聞くフレーズ。
だけれども、少なくとも僕は「なるほどな」とは思わない。
人はそれぞれ事情が違う。
得意不得意も違う。
幸福の定義も、不幸の定義もそれぞれ違う。
考え方も違う。
だからこそ、せめて、近しい人、大切な人の違いを認めてほしいと思う。
すみません、最後は僕の変な暴走になりました。
現状5分の1くらいしか書けてないので、次に追記します。
丁度良い長さになったので、今日はこの辺りで。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
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