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メンタル体験記 -愛着障害について①-

急に寒くなり、メンタルの生死を彷徨っていました。
お久しぶりです。
今日は久々に、ちゃんと学術的に名前がついている障害で、親子関係について触れていきたいと思います。
ただ今日は序章なので親子関係や、深いところについては触れていません。

最近聞かれるようになった『毒親』『親ガチャ』『虐待』『ネグレクト』など小分けにするとそれはそれは、色々あると思います。
ありすぎて訳がわからない。
一体精神疾患の本は何冊あるのか。
広辞苑みたいに一冊にまとめて欲しい、本当に。
そういう本とかを漁っているうちに『愛着障害』という聞きなれない言葉を、10年くらい前に見つけ本を読みました。
そして「まさにこれだ!!!」と思いました。

愛着障害は、幼少期の虐待などにより、保護者との安定した愛着が絶たれたことで引き起こされる障害をいう。「甘える」や「誰かを信頼する」などの経験値が極端に低いため、自分に向けられる愛情や好意に対しての応答が、怒りや無関心となってしまう状態。(Wikiから)

僕の場合ですと、
①人に頼れない、甘えられない。
②「頼ってもいい、甘えてもいい」と言った人に頼ったら、キレられる。
③なので他人を信頼できないので1人でこなそうとして、いつも無理をしておかしくなる。
④「怒られる」と「叱られる」の差がわからない。
⑤相手から好意を向けられている事があっても、確証がない限り見逃す。
みたいな感じでしょうか。

正直「常に誰かに何かに、怯えている」が常で、この「怯え」が皮肉にも自分をここまで生かしてきたとも思います。

僕は前にも言った通り車は乗りません。
免許も持っていません。
病気のせいもあるのですが、必ず「事故る」自信があるからです。
ですが代わりに自転車は、交通手段としてよく使います。
そして自転車で自分からは事故らない自信が人よりもあります。
めちゃくちゃ前後左右確認しますし、常に意識しているからです。
少なくとも制御不能の車や片手スマホのバカが突っ込んできたとか、そんな不測の事態が起きない限りは、ですが。

「怯えている」というのは「常に不測の事態に備えている」という意味です。
階段で躓いて転んで頭を打って死ぬかもしれない。
犬に噛まれて狂犬病で死ぬかもしれない。
歩いていたら、いきなり見ず知らずの殺人鬼に殺されるかもしれない。
車に轢かれて死ぬかもしれない。
飛行機が落ちてくるかもしれない。
バスが横転するかもしれない。
電車で痴漢冤罪の罪を被るかもしれない。
食べるものに毒物が入っているかもしれない。

僕の世界は、いや、実際の世界はネガティブの塊で構成されている。
死ぬまで、今のままの限り、無限の暗闇の可能性が続く。
そんなのは嫌だけれど、この世界を僕が「安心だ、平和だ」と誤魔化したら、おそらく明日から僕は、死ぬ可能性が高くなるでしょう。

本来の世界


とういうような内容を言ったら、O先生が図解して説明してくれました。
そして「君と同じように考えている人は意外と多いよ」とも言われました。
実は全生命が平等に、危険があり、幸せもある地平線に立っています。
平和で安全で安心なのは、お為ごかしの幻想。
まやかしの希望。
でも、怯えていたら何もできない。
だからしんどい。
そういう、危険が当たり前にある世界。
疲れますよね。


もっと両親について1ミリでも触れるかと思ったら、そこから得られた僕の自己紹介になってしまいました。でも、愛着障害については書く価値があると思うので、書いていこうと思います。2週間間が空いたのに読んでくださったかた、ありがとうございます。新しく読んでくださったかた、ありがとうございます。

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