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メンタル地獄日記 -僕のメンタル(後日談)-

専門学校を中退した僕は更に闇があるのかってくらいに落ちていきました。
辞めてから今まで、本当に何も楽しくない人生です。
ここからは簡単に書きます。


なお、この時期くらいの夏にもう一回、癲癇(てんかん)で倒れています。
運が良かったのは病院の待合室だったこと。
目覚めた時には、嘔吐し、全身筋肉痛で、汗で服が川に落ちたくらい全身ビッショリになっていました。

しばらく引きこもり、ちょっと行動できるようになった頃、就労移行支援に通い出しました。
ちなみに、この時に『障害年金』を取得しています。

まず、病院を変えました。
ここもかなり待ち時間が長く、先生はなんか偉そうで圧迫感があり、5分くらいで毎回診断終わりました。
覚えているのは「眠りすぎ」と言われたことくらいですかね。
ですが、ここで初めて『発達障害』と診断されました。
これはビックリしたというよりかはやっぱりな、というかそんな感じでした。
正直、めっちゃうつがひどく、癲癇があり、眠れば悪夢で毒親育ちの僕には今更一個増えたところで、そんなショックは受けませんでした。
「まーた増えたよ」くらいな感じです。

ですが就労移行支援のスタッフさんに、障害者年金のことを教えてもらい、手続きを踏めば貰えるかもしれないと言われ、障害年金をもらうためのに無茶苦茶大変な手続きをしました。
多分、日本人ってそういう補填システムをあまりにも知らなすぎるのではないでしょうか?

その時のメンタルクリニックの先生に診断書を書いてもらい、あらかじめ予約していた社労士さんに見せにいきました。
が、残念なことに、かなり軽く(適当に、あるいは通い出してまだ日が浅かったためか)書かれていたので、この診断書ではおそらく障害年金が下りないだろうということでした(診断書5000円したのに)。
ショックを受けていたら、社労士さんが、ちゃんと診断して書いてくれる病院(今通っている病院)を紹介してくれて、とんとん拍子に障害年金の申請が通り、受給することとなりました。
正直、社労士さんとO先生、関わってくださった方々の助けがなければ心折れていました。
本当に感謝しかありません。
本当にメンタルクリニックって当たり外れが多すぎる(怒)

ちなみに、「とんとん拍子に障害年金の申請が通り〜」と書きましたが、手続きは病気の人間がやるものじゃないほど厄介で大変でしんどかったです。
やり方を紹介しようかと思いましたが、書くだけでも疲れるし、記憶もあやふやなので間違っていたら責任が取れないのでやめておきます。

話を就労移行支援に戻します。
ここも2年ほど通って結局は障害者求人で就職はしたものの、少ない給料で生きられるはずもなく、また、お局さんだけならまだしも、途中の人事異動で男のお局もきて、職場がギスギスして、自分も体調が悪くなりまた辞めてしまいました。

更にこの頃に、親との縁を切りました。

とまぁ、ここまでくるともはや一般的な就労、普通の人生は無理だと判断せざるを得ませんでした。
無理しても続かないので「好きなことを仕事にしよう」とやっと思い、イラストを描き始めました。
が、当たり前ですが、小、中学校から描いている人、美大に通っていた人など、と今から始めるのは「決定的に時間の差があるよ」と思っています。
「好きなこと、続くこと、得意なこと」を仕事にするのは世間から見たら普通なのかもしれませんが、僕の場合は『毒親のいる環境、地域から抜け出すのが夢』だったので。
厳しい環境や、辛い幼少期なんて、アニメやゲームやドラマや映画だけで十分やねん。
親ガチャ地域ガチャが外れました。

俺は悪くねぇ!!!なんつって。

とまぁ、とりあえず一旦の僕の人生の回顧録は今回で終わりです。
今更ですが、本当ならこんなネガティブだらけの日記、通っているメンタルクリニックのO先生に「書いてみたら?」と言われなければ、書きませんでした。
だって、どう考えても、情けない、恥ずかしい、幼稚で不幸自慢な文章よりもポジティブな文章の方がいいですから。
自暴自棄で攻撃的にもなりますしね。
本当に不快になっている方にはすみません。


次からは、病気の症状について僕が思うことを深く書いていこうと思います。
なんせ一番付き合いが長いですから。
悪夢、毒親、愛着障害、うつ病、発達障害、自殺とかにも触れます。
特に愛着障害は、なんでこんなに分かりやすいものがあるのにメジャーにならないのか分かりません。
僕の人生、ここまで読んでいただきありがとうございました。

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