野菜が食べられない
私は食べ物の好き嫌いが激しい。特に苦手なのは野菜である。そのことにより、とても辛かったのは小学校の給食だ。
小学一年生の頃、昼休みはいつも給食を食べていた。他のクラスメイトたちがグラウンドへ遊びに行く中、私は教室に取り残され、プラスチックの皿にのった野菜をじっと見つめていた。
担任の若い女性教師の鋭い視線を感じる度に、鼻を塞いで口に運ぶ。苦手なものを目の前にし、ずっと格闘しているのだから、こんなに辛いことはない。
給食を残すためにはルールがあった。先生のデスクまで自分のプレートを運び、どれだけ食べたか、皿を見せる。そして、「あとこれを二口だけ食べなさい」などと指示を受けるのだ。
しかし、私は他の児童のように、少し残すということなど到底できず、大量の野菜が残ってしまうため、「あなたはまだ食べていなさい」と言われるだけだった。
また、昼休みに食べ終わらないと、五時間目の授業を受けながら食べることもある。その時間はクラスメイトたちが整然と揃っており、彼らの注目を浴びることが苦痛で堪らなかった。
しかし、そんな苦行のような目に遭っていたのは私だけではなかった。クラスの兄貴肌であるNも、その一人なのである。
私たち二人は特に仲が良いわけでもないが、彼の皿にどれだけ給食が残っているか、ちらちらと覗き込んで確認していた。そして、自分の状況と照らし合わせて焦ったり、安堵したり、Nの給食を基準に心が動かされていた。それはどうやらNも同じらしく、徐々に仲間意識が芽生えていった。
ある日、給食のメニューに野菜サラダが出たときのことである。いつものように、私とNは野菜を食べることができずに、どうやったらこの葉っぱや実たちが口腔内を刺激せずに喉へ流し込めるか、必死に考えていた。
昼休みに入る直前になると、突然に先生が私とNを怒鳴り始めた。この時間に食べ終わらないことにより、他人に迷惑をかけているのだ、今すぐ食べてしまいなさいと、くどくどと説教する。
Nの方を見ると、泣きそうな顔でゼリーとレタスを混ぜて無理矢理飲み込んでいた。ゼリーを食べるのを楽しみにしていただろうに。しかし、気の毒に感じている暇はない。私も焦ってNと同じようにゼリーに野菜を混ぜてみた。しかし、寧ろまだサラダの状態の方がよかったと気づく。
こんな食べ物は絶対に嫌だ。拒絶反応が増してしまった。口に入れるとなかなか飲み込めず、吐き気を催した。
「先生、トイレ」
口に野菜が入ったままトイレに駆け込んだ。緊張から解放されたせいか、嘔気は治まり、口の中にあったものを飲み込むことができた。そして、教室に戻ると先生が私の口元をじっと観察して、怪訝な表情をした。
「あなた、トイレで野菜を捨ててきたでしょ」
言い返すことができなかった。勘違いを否定したいのに、圧に負けて何も言葉が出てこない。目の前の野菜とゼリーの混合物を食べられる自信もなかった。
先生は私の目の前に立った。次の瞬間、腹部に鈍い痛みが走った。先生に殴られたのだ。
痛さよりも殴られたというショックにより、大声を上げて泣いてしまった。静まり返った教室に私の泣き声だけが響く。クラスメイトたちから心配そうな目を向けられていることや、給食仲間であるNは無事に食べ終えていることも、私の救いようのない孤独をより深刻なものにさせた。
先生は私より更に大きな声を張り上げた。
「うるさい! 泣けばいいってもんじゃないの。アフリカの貧しい子たちのことを考えなさい。彼らは食べたくても食べられないんだよ。飢えて死ぬ人も大勢いる。それに比べてあなたは嫌いなものは食べないなんて贅沢なんだよ。そんな子はね、死ねばいいんだよ」
涙が止まった。こんな酷い言葉を言われたことがなかったから、驚いてしまったのだ。その後、どうやってこの状況が収束したのか、記憶にない。あまりの衝撃に乖離状態だったのかもしれない。
三十代になった現在でも、食べ物の好き嫌いはある。それでも健康や美味しさを考えて作ってくれた料理を残すことはしない。わが子にも嫌いなものをどうやって食べさせるか奮闘している毎日だ。
子どもたちに食べ物への感謝や、食事ができる幸せを学んでほしいと願っている。そこにどれだけの苦労や犠牲があることか。
私はかつての担任教師のような暴言や暴力でなく、一緒に料理を作ったり、田植えに参加したりするなど、子どもたちと共に実感できる機会を作っていこうと考えている。
そして今日も、ご飯を食べるときに手を合わせて、「いただきます」と言いながら、このお米や野菜を作ってくれた人々の背中を思うのだ。