読書:『塞王の楯』今村翔吾
書名:塞王の楯
著者:今村翔吾
出版社:集英社
発行日:2021/10
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戦国時代、穴太衆と呼ばれる石工集団が活躍していたという。石を切り出し、運び、積む。城の石垣を組み上げたのが彼らだ。
石垣はただ積み上げているだけなのになぜ崩れないのか? 何百年ものあいだ。そんな疑問をもったことはないだろうか。それを可能にしたのが穴太衆の技能。大小の石をパズルのように積み上げていく。正しい積み上げられ方をした石垣は、とほうもない頑丈な楯となる。
幼きときに落城で父母を失った匡介は、塞王と呼ばれた飛田源斎に拾われ、飛田屋の次期頭領となる。匡介は石の声を聴くことができる稀な才能をもっていた。次の塞王とも目されるこの匡介、そして飛田屋の仕事ぶりが描かれていく。
それだけを聞くと地味な物語のように感じそうだが、まったくそんなことはない。極論的に言えば石を積むだけの物語がなぜこんなに面白いのか。
この小説を読むと、戦国時代に戦っていたのは武将ではなく、穴太衆だったのではないかという気がしてくる。もちろんみずから弓矢や鉄砲をもって戦うわけではない。だが戦況に合わせて石垣を組み上げ、敵を誘導し、ときには策略的に石で敵を斃す。まぎれもなく戦いの主役としてこの小説では描かれている。
冒頭から充分面白いのだが、その面白さは、大津城の京極高次とその妻、お初が登場したところから一段はねあがる。
世間では無能な蛍大名と言われている京極高次。だが、実際に会った高次は、決して偉ぶらず、職人たちにも頭を下げ、自身の名誉よりも民を守ることを優先する心優しい人物だった。
似たもの夫婦と言おうか、お初も同様で、穴太衆の泥まみれの作業現場にやってきて、美しい着物が泥に汚れるのも気にせず、職人たちに感謝を示す。どこか浮世離れしているようでもあるが、とにかく可憐にかわいく描かれている。
そんなふたりは家臣や民からは慕われている。
中盤で大津城の仕事を終えて大津城をいったん離れるのだが、それが残念にも思ってしまうほどの魅力があった。
だがすぐにまた大津城に戻る状況となる。
史実にも残る、大津城の戦い。関ヶ原の戦いの前哨戦だ。ここでまた面白さが一段はねあがる。
大津城に籠城することを決める高次。手勢はわずか3000名。これを攻める軍は1万5000人。
匡介はこの大津城を守るために力を尽くすこととなる。ときには奇抜とも思えるような石垣を組んで軍勢をはねかえし続ける匡介たち。
このままでは埒が明かないと攻め手は大筒を使用することにする。この大筒は、匡介の対局にあり、ライバルとも言える稀代の鉄砲職人の彦九郎がつくったものだった。
こうして、まっこうからの矛楯対決が始まる。たえまなくおそろしい爆音を立てて大筒を撃ちこんでくる攻め手。石が崩れても崩れても積み上げなければならない賽の河原のように、石垣をたえまなく組み続けてこれから守ろうとする匡介。そのあいだにはさまざまな危機がやってくる。
もう面白さははねあがりっぱなしだ。昨夜は、朝までぶっ通して彼らの熱い戦いに読みふけった。
絶対に破られない石垣を作れば、この世から戦をなくせると考えた匡介。
どんな城も落とす砲を作れば、戦をする者はいなくなると考えた彦九郎。
感覚的には後者の考えには無理があるように思える。
しかし現代は後者の状態になっていっていると言える。各国は競って巨大な兵器を備え、だが戦争はなくなっていない。
そして、その兵器を防げる「楯」はすでに現代には存在していない。「矛」に対しては「矛」を向けるしかない。
……つらつらとそんなことを考えてしまう作品でもありました。
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