読書:『ミシンと金魚』永井みみ
認知症を患っていると思われる女性のひとり語り。と読み始めてすぐわかって、これはアレかな、他人が知るよしもない老人の頭のなかを若い作者が好き勝手に妄想した小説かなと意地悪な目線で読み続けたのだけど、確かにそれはそうに違いないと思うのだが(これもまた自分が患わなくては知る由もないことだけど、認知症の人の頭のなかはもっと混沌としているような気がする)、そんな意地悪に読んでもなおこれは面白かった。
そもそも、主人公、カケイさんに嫌味がまったくない。いまとなっては誰かれを恨むことなく、憎むことなく、一所懸命小さく生きている。あい、あい、〇〇でしゅ、と素直に応えるカケイさんの口調のかわいらしさに乗せられて気持よくどんどん読まされる。決して幸せな生涯を送ってきたわけでもなく、むしろ苦労してきた人生で、深く大きな後悔もあるのだけれど。
これだけ長く生きてきてもずっと知らなかったことがある、ということ。あのとき誰が何をしていたか、何をしてくれていたか、ずっと知らなかった。自分がどんなに大切に守られていたかずっと知らなかった。そんなことがあるということ。
カケイさんはそのいくつかを知って気づくことができたけれど、こうしたことは多くの人にあたりまえによくあるのではなかろうか、というふうに思いました。
認知症や介護、あるいはカケイさんの人生といったところに目が向きますが、この小説の本当の主題は、それらよりも「物事の裏に隠れていて気付かないでいること」なのではないかと感じました。
最後の最後に、道子の小さな手あとを見つけるカケイさん。
「こんなことでもなかったら、あがりかまちの裏側なんて見ることもなかったろう」というカケイさんの言葉が胸に響きますね。
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