読書:『着たい服がある(全5巻)』常喜寝太郎
書名:着たい服がある(全5巻)
著者:常喜寝太郎
出版社:講談社モーニング KC
発行日:2019/1~2019/9
https://kc.kodansha.co.jp/title?code=1000033929
友人たちからかっこいい女と思われている女子大生の小林マミ。けれど彼女は本当はかわいいもの、かわいい服、ロリータファッションが好きで、そんな本当の自分を出せずにいる。少しスカートを着ただけでも、友人たちからは「違う」、母親からはズボンの方がいいと言われてしまう。
そんなマミが、バイト先で小澤くんに出会う。小澤は見た人がギョッとするような奇抜な服を平然と着て歩き、この服を着ている自分だけが本当の自分だと言い放つ青年だった。
この出会いから物語が動き始める。
服の物語だけれど服の物語ではない。
あこがれていたロリータ服を着始め、本当の自分らしく生きようとし始めるマミ。
これまで知っていた娘は本当の娘ではなかったのと大きなショックを受ける母親。その母親に対してまたショックを受けるマミ。
あるときは、幼いころからずっと会っていなかった父親に会いに行き、自分のなかに植え付けられていた「芽」を知って父親に感謝することになる。
教育実習や、ボランティア、介護ホームでの実習を経て、大きく成長していくが、自分らしく生きるとは何かという疑問が常につきまとい、自分を勝手に「判断」する人々に傷つき、そのたびに何かを得ていく。
服の物語だけれど服の物語ではない。服というアプローチから、こういう物語を作ることができたのかという、素直な驚きがあった。
自分探しの物語だけどそれだけではない。心に響く何かがある。
人の目ばかり気にして自分を殺して生きるというのは間違っているのだろうけれど、自分の殻に閉じこもっていいということではない。自分らしく生きることは大事だけれど、自分勝手に社会を逸脱していいわけではない。
そうした微妙なあわい、ひとことですっぱりと回答を出すのが困難なものが、悩み続けてもがき続けるマミを通して表現されているようである。
最初、凛として登場する小澤が、マミとはまた別の苦しみをかかえていて、マミが感じ取った「かっこよさ」は幻想であるとわかっていく下りもよかった。マミをハッとさせた小澤の最初の名言は必ずしも正しい言葉ではなかったこと。そういった機微もこの作品らしい。
自分らしく生きるということは、ある意味で人々からはみ出すということでもある。けれど、それは必ずしも好ましいことではない。教師をめざすマミには、そうしたところで矛盾が生じる。彼女はその矛盾にどう向き合うのか。
世のなかに面白い漫画はたくさんあって、この作品ももちろん面白いのだけれど、それだけではない、心に刺さる何かがある、思いがけないほどいい作品でした。