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【読書記録】ファーストラブ/島本理生

軽くネタバレ含みます。注意。

はじめに

こんな作品も書けるのか、と読んでいる間に何度も思った。

島本理生さんの作品はどれも好きで、作家買いをする数少ない方の一人なのだけど、今まで読んできた作品は、殆ど恋愛小説。主人公がどこか弱い人が多い、という印象だった。
弱い、というか、儚い、というか。

勝手に、『島本理生作品は冷たい静かな雨が似合う』というイメージを持っているのだけど、まさしくそんな雨の中に置き去りにされている女性が主人公になっている事が多い、というイメージ。

だけど、今回の作品は全然違くて、弱い、儚い女性も出てくるんだけど、主人公は、私にとっては特別弱いわけではなく、弱さも強さも兼ね備えた女性だった。弱さと共存している、という感じ。今までの作品と印象が全く違った。

あと、いつもは曇り空の中にちょっと光が差してきた、っていう雰囲気の中お話が終わる印象なのだけど、今回はがっつり晴れていた。晴れやかだった。それも驚いた。読後感がすっきりして、希望にあふれている気がした。

でも、やっぱり、話の内容はめちゃくちゃ重い。辛い。苦しい。後半は泣きながら、何度も「うわあ~~~~」と思わず言いながら読んだ。辛かった。今までの作品以上に、メイン登場人物たちの今後の幸せを願わずにはいられなかった。

あらすじ(Amazonより)
夏の日の夕方、多摩川沿いを血まみれで歩いていた女子大生・聖山環菜が逮捕された。彼女は父親の勤務先である美術学校に立ち寄り、あらかじめ購入していた包丁で父親を刺殺した。環菜は就職活動の最中で、その面接の帰りに凶行に及んだのだった。環菜の美貌も相まって、この事件はマスコミで大きく取り上げられた。なぜ彼女は父親を殺さなければならなかったのか?
臨床心理士の真壁由紀は、この事件を題材としたノンフィクションの執筆を依頼され、環菜やその周辺の人々と面会を重ねることになる。そこから浮かび上がってくる、環菜の過去とは? 「家族」という名の迷宮を描く傑作長篇。

主要人物:由紀と環菜と迦葉について

最初はただの親子喧嘩の延長の話だと思った。すごく嫌な言い方だけど、それならば「よくある話」だからだ。

加害者である聖山環菜は、アナウンサーを志す女子大生。事件当日はアナウンサー試験当日。しかし彼女は試験を途中で抜け出し、犯行に及ぶ。相手はアナウンサーになる事を反対していた父親だった。
安直に考えると、夢に反対されたあげく試験にも失敗してしまい、逆恨みも込めて殺害した、となるだろう。
当初私も、そうなのかな、と思った。

環菜は逮捕後、警察に対して「動機はそちらで見つけてください」と言ったと報じられた。美しい顔立ちに、この言葉。すごく偏見なのだが、高飛車な女子大生が衝動にかられ、欲望のまま犯行に及んだのかと、第三者が伝える環菜像から想像した。

でも実際は全く異なっていた。

主人公の真壁由紀が彼女のもとに面会に訪れると、目の前にいた環菜は、今まで私が思っていたイメージとは異なり、可憐で、線が細くて、か弱くて、女性、というよりも、女子、というイメージ像が出来上がった。

そのイメージを裏付ける様に、彼女が語る内容は、どれが真実でどれが嘘なのか掴みどころがない。心を開いてくれそう、と思ったら、いきなりバタンと閉じられるし、懐いてくれたと思ったら、次に会った時には一気によそよそしくなる。内容も支離滅裂で、彼女が本当の心の奥底の、彼女が思う真実を語ったのは、最後の最後だった。

主人公の真壁由紀ともう一人、環菜と関わり、由紀とも密接な関係である弁護士・庵野迦葉も掴みどころがない登場人物の一人だ。

由紀と迦葉は大学時代の同級生。最初は「お互いがお互いの事を理解し合える唯一の人」だとも言えるかの様に、とても仲が良かった。だがある出来事をきっかけに彼らの関係は一気に崩れていく。

冷え切ってしまった関係に追い打ちをかけるように、由紀が迦葉の兄・我聞と交際を始めると、以前の関係はまるで無かったかのようになった。(のちに由紀は我聞と結婚する)

そんな「理解し合える関係」から「ただの親戚」になっていた2人は、環菜の事件をきっかけに2人で行動を共にすることが多くなり、そして話がすすむにつれ、昔の関係を清算する事になるのだが、

それが何だか、私にはどう想像しても読み込んでも完全に理解しきれる事はできなくて、恋人でも、友人でも、家族でもなくて、まるで自分の分身かの様にお互いがお互いを観ていて、恋とか愛とかの好きではなくて、こういう『好き』もあるんだな、と思う様な出来事だった。
語彙力が足らなくて、うまく表現できないのがもどかしい。

由紀の傷と環菜の傷

彼女たちは、表面上では臨床心理士と加害者ではあるのだが、どちらもある視点から見ると「透明化された性被害者」だ。
下記の3つが彼女たちに共通して当てはまるのだが、異なるのは、由紀は「自分が被害者だ」という事を認めて生きているのに対し、環菜は認められないでいるところ。それを由紀が、ちゃんと自分は辛かった、被害を受けていたのだということを認めさせることが、事件の真相を知る手がかりとなっていく。

【共通点】
① どちらも幼少期(いわゆる少女期)に被害を受けている事
② その被害の傷が成人しても残っている事
③ 母親が同じ女性でありながら、味方では無かった事

この「透明化された性被害」に関してだが、恐らく読者によって捉え方が大きく異なる部分だと思う。
もしかしたら「こんなの性被害にならない」と思うかもしれない。
でも、大半の、特に女性は共感するのではないだろうか。何か直接的に被害を受けただけでなく、事件として立証する事はとても難しいけど、心に少しずつ傷をつけていくし、真綿で首を絞められている様な、そんな感覚。

私は酷く憤りを感じたし、自分の事の様に辛かったし、悔しかったし、悲しかった。全く同じ被害ではないのだけど、過去に自分の身に降りかかった性被害を思い出してしまったりして、それがまた余計に辛かった。

一方で、きっとこの辛さは伝わらない人には伝わらない。それが良いとか悪いとかの話ではなくて、仕方のないことなのかもしれないと、どこか諦めてしまいたい部分だと思う。

実際、由紀の母親も、環菜の母親も、彼女たちが負った傷については、見ない様に触れない様に気づかない様にしている様子が書かれていた。臭い物に蓋をする、ではないけど、きっと彼女たちは、見ない事で自分の傷を守っていたのかもしれない。

それが良いのか悪いのかはわからないけど、少なくともその行動のため、由紀も環菜も傷ついたまま放置されていた気がする。
一番の味方であるはずの親がそうなのだ。幼かった彼女たちは、誰に助けを求めればよかったのだろうか。

そしてこれは小説の中のファンタジーではなく、
きっと実際に、今現実世界で生きている幼い少女たちが直面している可能性がある、とひしひしと感じた。
そこにあるのに、透明だから見えない。

けど、確実にある。

どうしようもない怒りが湧いてきた

何で被害を受けた方が、気持ちに折り合いをつけて生きていかなくちゃいけないんだ。

読みながら、何度も何度も思った。

「あんな事しておいて幸せになっているとか信じられない」

環菜が言ったこのセリフ、本当にそう思う。
被害を受けた方はずっとその傷を抱えながら、でも真正面に向き合うと壊れちゃうから騙し騙し生きているのに、加害者側は良い感じに清算して、良い感じに蓋をして、何もなかったかの様に振舞っている。

結局、表に出てこないで、どの人も手紙だけで終わらせたのも、私は納得いかなかった。「家族があるから」と言っていたけど、だから何だと言うのだ。人の心に傷つけておいて、その一言で許される、譲歩されると思っているのが気に食わなくて、怒りながらページをめくっていた。

どんな加害-被害関係でもいえるけど、被害者がいつまでも傷を抱えている事例が多すぎる。謝罪すれば無かった事になってしまうのが許せないし、謝罪したからOKとしてしまっているのも許せない。
傷をつけられて苦しんでいる分、罪の意識を背負って後悔し続けてほしい。

そして、由紀や環菜に被害を加えた男性だけではない。
助けなかった、助けようとしなかった、気が付こうとしなかった、親も周りの大人も責任を感じてほしい、と心の底から思った。

何で親のために子供は犠牲になるもの、って本気で思えるのだろう。
子供だから親に従えって、なんで思えるのだろう。

子供だって馬鹿じゃない。違和感も不快感もちゃんと感じるのに、なんでその意見は簡単に無かったことにされてしまうのだろう。思い込み過ぎだ、とか、被害妄想が激しい、とか、嘘つきだ、とか。
それが二重にも三重にも苦しめているのに。

子供だって同じ人間だ。喜怒哀楽はあるし、痛みも苦しみもある。

最後、環菜の母親にも抱えている闇がある様な描写があった。
一瞬「あ、この人も苦しいのか」と同情心が芽生えてしまったが、
苦しいからと言って誰かを傷つけて良い理由にならない。
それはそれ、これはこれだ。
でも、彼女も少しでも救われたら良いな、とは思った。

最後に 子供の意思は誰が尊重してくれるのか

読んでいて、私も子供の頃、自分の主張が通らなかったり、理不尽な要求をされたり、不快な気持ちをしたりした事、たくさんあったな。
子供時代の方が、苦痛な事多かったな、と思った。

それは、弱くて、力もなくて、知識も教養もなくて、どうすれば太刀打ちできるのかがわからなかったから。
親に歯向かえば「誰があんたを育てていると思っているの」とよく言われた。
別にそんなつもりじゃないのに、私の意思を決めつけられる事も何回もあった。
平気じゃないのに、平気だろ、と勝手に判断されることもあった。

子供の意思は誰が尊重してくれるのだろうか。

由紀も環菜も逃げた。目を背けて、心を閉ざした。
そして環菜は、「私は傷つけられていない」と自分にまで嘘をつく様になった。

由紀を救ったのは、迦葉であり、我聞だった。
迦葉とのあれをタイトル通り「ファーストラブ」と捉えるのは、いささか安直な気がする。あれは恋であり、恋では無かったと思う。
でも、無くてはならないものだった。
我聞との出会いが、本当の「ファーストラブ」だったと、私は思っている。

環菜の「ファーストラブ」は、きっとまだ訪れていない。
彼女がいつか、本当の意味で、救われるのを願わずにはいられない。

私は今、いわゆる「大人」だけど、闘い方がわからない子供たちを全力で守れる大人になりたいと思うし、
これから先親になって、自分の子供たちの意思はちゃんと尊重してあげたいし、嫌な事との闘い方、自分の心の守り方をきちんと教えてあげられるようになりたい。

その前にまずはたくさん勉強しないとだけど。

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