雪はいつまでもやまない「ユンヒへ」【映画感想文】
※映画の内容に触れているネタバレ有り感想文です。
中年女性ふたりの恋愛を描いた、韓国クィア映画「ユンヒへ」
この映画は、以前一度鑑賞しました。全編を貫く静謐な雰囲気と、登場人物たちのやさしく温かなやり取り、そして雪に覆われた小樽の街の「盛らない」撮りかた、すべてが調和してひとつの世界を創りあげていて、印象深く観た映画でした。
先般アマゾンプライムでの配信が開始され、もう一度鑑賞したのですが、やはりつくづく好きな映画だな…と染み入るように感じたので、その理由をぽつらつらと書いてみようと思いました。
物語の「あらすじ」は、終盤になって明かされる
映画の紹介サイトで書いてあるような明確なあらすじは、映画の中ではほとんど説明されません。唯一、二度読まれる手紙の文面で事情(とあらすじ)を推察できるんですが、二つめの手紙は終盤です。つまり、事情はぼんやりと明かされないままに物語は静かに進行し、二つ目の手紙ですべての理由をはじめて観客は知るのです。
そのため、エンディングを迎えた後からゆっくりと作中でやりとりされた台詞や所作の意味の理解が追い付いていき、それとともにやりきれない哀しさ、そして秘められ続けてなお今も褪せない、二人の間の愛情を知ります。
だからクリティカルに嵌れば、余韻がとても深いのです。じわじわと効いてくる。冬の日差しに溶かされていく根雪のように、静々と。
ふたりの邂逅は、ただの一瞬
ユンヒもジュンも、相手に「会いたいけれど、会えない」もどかしさを抱えて生き続けてきました。想いは尽きず(「私もあなたの夢を見る」)、恥じてもいないけれど、隠し続けて言い出せずに生きてきた時間があまりに長くて、もう再会の仕方もわからない。手紙の出す勇気さえも持てないでいる。
その二人をつないだのは娘のセボムのちょっとした気まぐれ、そして若々しくて無謀な行動力。彼女のパワーが功を奏して、積もり積もった雪のように深い想いに囚われて身動きとれない二人は、ついに灯りが美しく灯る小樽の夜に再会を果たします。
「久しぶりね」
「そうね」
幾重にも感情が籠った表情を互いに浮かべた後、どんな顔で彼女たちはその言葉を発したのでしょう。そして、私たちはそれ以外に彼女たちがどんな会話を交わしたのか知る術もありません。
場面もほんのひととき。
長い、長い空白の時間の果ての、ほんのひとときの邂逅を映して、場面はすぐに暗転します。さく、さくという雪を踏むかすかな足音を残して。
この余韻の深さ。残していく足音の、ささやかながら心地よい響き。
短いからこそ、たったこれだけのやりとりだからこそ、浸れる余白がありました。最高に好きなシーンです。
彼女たちの周りの過去の人、今の人
ジュンの両親は離婚し、彼女は父親についていきます。
理由は、「自分に関心を持たなかったから」。その理由が腑に落ちるのは、彼女の当時置かれていた環境がすべて明らかになってからです。
けれどジュンは、父が死んだことで手紙をまた書くきっかけを得ます。
背負っていた過去の枷がひとつ、軽くなったのでしょうか。
常に傍にいつづけた、叔母のマサコの包容力ある存在のおかげかもしれません。
とはいえ、ジュンは親しくなりかけた同性の知人に言います。
「隠し続けていたのなら、これからもその方がいい」
片親が韓国人であることを明かし、同性を愛したことは胸に秘め、彼女は冷たく忠告するのです。このシーンからは、過去に追った別れの傷の深さ、癒されないものの痛みを感じさせられました。
一方、ユンヒの親もまた、理解者ではありませんでした。
親はユンヒを病院へ入れ、厳しく指導します。そして兄だけが大学に進め、ユンヒには大学の代わりに祖母からのカメラが渡されます。
その苦々しい思い出の証であるカメラは、娘のセボムが常に手にする愛用品となります。彼女は美しいものしか撮らないと言い、風景や小物だけを撮り続けます。
けれどセボムは、小樽では母親のユンヒを盛んに撮ります。
単純に、母親だからかもしれません、
けれど、カメラマンがカメラのレンズをつと向けるのは、魅力的な対象ではないでしょうか。小樽に来た母親が、それに値する、「美しいもの」だったからなのでは。韓国の日常のしがらみから放たれた、雪の街の彼女の佇まいが、常にないもので、眩しく映ったのでは、と思うのです。
セボムのボーイフレンドは、ずっと彼女を気にかけ続け、温かくくすぐったいほどの愛情を感じさせます。また、ユンヒの元夫は、「寂しい人」に見えた彼女とは結婚生活を諦めざるを得ず、新たな伴侶を得ることになります。それを最後に告げたときの、申し訳なさの混じった感情からは、彼女を真摯に思いやる気持ちが伝わります。
一方で、ユンヒの兄は、恵まれて育てられますが、ユンヒに対していまだ厳しい態度を取ります。妹だからか、女だからか、過去のせいか。
事情を知り、やさしく接する人もいれば、厳しいままの人もいる。
事情を知らずとも、やさしい人もいる。
いろんな人々がそれぞれの人生を生きながら、ユンヒとジュンに良くも悪くも影響を与えている。きっとこれから先も。
それでも、変わらないものがある。
冬の小樽の雪がいつまでも、いつまでも止まないように。
いつまでも、「私もあなたの夢を見る」のだろう、と思うのです。
二人の人生が、この先、交差することはなくとも。
最後に
静かで淡々としたやり取りの連なりで編まれていく物語ですが、
その静けさをバックアップしていたのが、飾らない小樽の街並みです。
運河などのわかりやすい観光スポットでなく、雪に埋もれた民家やカフェ、ゲストハウスなどが主に映されます。それらからは、雪に耐え忍びながら生活する名も知らない人々の息吹が感じ取れます。
だからこそ、ひそやかにけれどたくましくも生きてきたユンヒとジュンの人生を描き出すのにふさわしくも感じたのです。
冬の雪の、ただの美しさばかりでなく、重苦しさや、鬱陶しさ。そんな人生のような一筋縄ではいかない物言わぬ存在は、作品に欠かせないものだったのではと、そう思いました。