【水戸】弘道館「八卦堂」特別公開〜なぜ斉昭は寒水石にこだわったのか?
今日(3月10日)、「弘道館記碑」特別公開に行ってきました。
天保9年(1838年)、水戸藩主徳川斉昭が公表した「弘道館記」は、弘道館建学の精神をあらわしたものです。「弘道館記」を石材に刻んだものが「弘道館記碑」。
「弘道館記」が完成すると、「弘道館記碑」の製作が開始されました。石材として選ばれたのは、久慈郡真弓山(現常陸太田市)の寒水石(大理石)。
しかし、石材の採掘にあたって土地の人々から強い反対がありました。その理由は、「真弓山から寒水石を切り出すと山神の祟りがある」と恐れられていたからです。
そこで斉昭は、「武士の道弘めんと引石を真弓の神のいかでとがめん」という和歌を扇に揮毫して真弓権現の社前に掲げることにより、土地の人々を説得したといわれています。
斉昭は、生前のうちに自分の「神位(位牌)」をつくっています。その「神位」に使用された石材も寒水石でした。
なぜ、斉昭が、そこまで寒水石にこだわったのかは謎のままです。
見かけの美しさだけでなく、神秘的なパワーを感じ取っていたのでしょうか。
真弓山から切り出された寒水石は、国会議事堂の中央玄関の床や階段にも用いられています。
土地の人々は説得できましたが、真弓山の山神の祟りは鎮められたのでしょうか…
【参考文献等】
「八卦堂特別公開」パンフレット(弘道館事務所)などを参考にさせていただきました。