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【比較】WHOと養生訓、どちらが教えてくれる「健康」?

江戸時代の知恵「養生訓」から学ぶ、本当の健康とは何か


米づくりと健康の関係性
のんびり棚田ライフ亮です。
今回は、私が長年追い求めてきた「健康」について、江戸時代の思想家・貝原益軒の「養生訓」を紐解きながら、皆さんと共有したいと思います。

健康とは何か?長年の疑問

私は、24歳で健康運動指導士の資格を取得し、長年健康づくりに関わってきました。
健康運動指導士の資格取得の際にも習ったWHOの健康の定義は、「健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあること」

ですが、現場で健康づくりの指導をしても、どこか釈然としないものを感じていました。

米づくりとの出会い、そして「養生訓」との出会い

そんな折、米作りを始める中で、「健康」という字を深く考察する機会がありました。

「健」は「人」と「建」の組み合わせで、米づくりができるほど体が丈夫であることを表しています。

「康」は「庚」と「米」から成り立ち、「庚(こう)」は、脱穀に使うきねという道具を両手で持っている様子を表し、収穫した時の喜び、実り多く安心な、安らかでとらわれない心を表しています。

昔は、多くの人が集まり助け合い米をつくり喜びを分かち合っていたのです。

米作りを通して、健康とは単に病気にならないことではなく、自然と共生し、社会とのつながりの中で心身ともに満たされる状態であることを実感しました。

そして、ある時出会ったのが、貝原益軒の「養生訓」でした。

益軒は、「人間のからだは父母をもとにし、天地をはじまりとしたものである」と説き、健康とは、単なる身体の健康だけでなく、自然や社会とのつながりを大切にし、感謝の心を持って生きることだと説いています。

WHOの定義との違い

WHOの定義は、個人の健康状態に焦点を当てていますが、益軒の考え方は、人間と自然、そして社会とのつながりを重視しています。この違いこそが、私が長年疑問に思っていた「健康」の本質を捉えられなかった理由だったのだと気づきました

養生訓が教えてくれること

養生訓は、単なる健康法ではなく、生き方そのものを教えてくれます。

自然との共生
自然の恵みに感謝し、自然の摂理に従って生きる

社会とのつながり
人とのつながりを大切にし、助け合い、共に生きる

心の健康
感謝の心、謙虚な心、そして常に学び続ける姿勢を持つ

これらの教えは、現代社会においても、私たちが健康で幸せな人生を送るための指針となるはずです。

貝原益軒を簡単にまとめた図

米作りと養生訓の共通点

米作りと養生訓には、共通点が多く見られます。

自然との共生
米作りは、自然の力を借りて食料を生産する営みです。養生訓も、自然の摂理に従い、自然と共生することを教えています。

五感を使い、体を動かす
米作りは、五感を使い、体を動かす作業の連続です。養生訓も、適度な運動や五感を使った生活の大切さを説いています。

人とのつながり
米作りは、共同作業を通して人とのつながりを深めます。養生訓も、人とのつながりを大切にすることを教えています。


若者へ

私は、日本の健康づくりに関わる若者たちに、ぜひ養生訓を読んでほしいと思っています。養生訓には、科学的な根拠だけでなく、心の豊かさや生きがいを見つけるためのヒントが詰まっています。

健康とは、単に病気にならないことではありません。自然や社会とのつながりを大切にし、感謝の心を持って生きることこそが、本当の健康と言えるのではないでしょうか。

養生訓の教えを心に留め、私たちもまた、自然と共生し、心身ともに健康な生活を目指していきましょう。

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