78.恵まれたご縁の中で、着々と進んでいく。これからも
ちょうど1年前にお出会いしたかたとお話する機会があり、1年前のことを振り返る機会に恵まれた。
気がつけば21歳もあと1ヶ月を切り、22歳を迎えようとしているいま、ここ1年間の変化を振り返ってみたい。
大きく影響を受けたご縁は本当にたくさんあるが、大きな枠組みとして挙げると
生き方の基礎を学ぶこととなる大先生との出会い
偉大な女性社長との再会
コミュニティをいくつも持ったこと
8ヶ月に及ぶ就職活動
などが挙げられる。
本当に恵まれた、たくさんのたくさんのご縁の中で、意識が着々と変わっていった。
わかってきた自分の満たし方〜集めたい”ありがとう”のカタチ〜
これまで頼れる資源はすべて頼り、本当にたくさんのことを学んできた。
他県に渡るのは、旅行をするよりも大概学びが目的であることも多かった。
趣味であり、遊びであり、学びである。
わたしには境界がないのかもしれない。
本当に機会やご縁に恵まれてきた。
しかし、ふと立ち止まれば、どれだけ学んでも満たされない自分に気づく。
終わりのない消耗戦。
その一方で、満たされる経験をいくつかできたことがわたしに大きな気づきを与えてくれた。
お世話になっているコミュニティで、大人の方の前で講演したこと。そしてその対価をお金以外の形でいただけたこと。
見ず知らずの人にnoteを紹介してもらったこと。また異なる見ず知らずの人からわたしのnoteに感謝のメッセージがきて1000円ほど頂いたこと。
ご縁からとてもありがたい時給を値段づけ頂きアルバイトという名目で雇って頂けたこと。
あなただから任せたい。
あなただからお金を払う。
そんな風な価値を感じられたことで本当に満たされた自分がいた。
誰でもできる仕事であっても、ただこなすのではなく。
信用から任せて頂くことと私ならではの価値で相乗効果。
それこそがわたしが身につけたい個人の力だ。
それまで自分の幸せのためにどれだけ学んでも満たされなかったにも関わらず、一瞬にして心のそこから満たされた。
どれだけ学んでも満たされないが、
ひとに貢献していることで満たされる。
人から感謝されることで満たされる。
誰かの幸せのお手伝いをすることが、自分の幸せになることに気づけたことはとても大きなことだった。
今は小さなことかもしれないけれど、この幸せを、もっともっと集めたい。
心の底からそう願う。
新しい哲学との出会い〜自分の時間を生きなきゃいけないわたしたち〜
”ビジネス素養としての教養”という本の著者、奥野さんの講演を聴いたことが大きな転機になった。
講演のテーマは株式投資についてのお話ということであったが、そこで学んだものは投資を通じた人生哲学だった。
とりわけ印象的だったのは”有能の境界”のお話だった。
これは、時間や能力の配分の方法について述べる上で奥野さんが導入されたコンセプトである。
自分が頑張ってもどうにもならないこと、自分が影響できることを分ける考え方。その境界線を意識することが大切で、”他人の人生を生きるのではなく、自分の人生を生きよう”というメッセージが込められている。
図にある4象限をそれぞれをわたしなりにまとめるとこうなる。
①自分の過去は振り返らない
②自分以外の過去の出来事には一ミリも時間を使うな。
と、ここまでは意識の範囲で何とかなる。
問題は④他人、自分以外の将来の出来事
例えば、明日の天気が雨か晴れかなど、考えたところで誰もわからないことが挙げられる。
奥野さん曰く、わたしたちはこれにはどうしても影響を受けてしまうという。
ここで大切なのは、”影響を受けているということ”を意識すること。
意識することで有能の境界がわかるようになるのだ。
そして境界により残った③の中にあるものが価値観である。有能の境界のなかにあるもの。
これこそが、自らの資源を使うべきところ。時間を使うべきところである。
自分でコントロールできるところのみに集中して自己投資することの大切さを感じる。
自分の人生を生きるとかありのまま、自分らしくとか。
そんな言葉は巷に溢れているけれど、具体的にどうすればそうなれるのか
まで語ってくれる哲学は少なかったように思う。
自分の人生を生きる。自分の時間を生きる。
わからないことはやらない。
能力外のことはやらない。
わたしがこれから生きていく上で、この奥野さんの”有能の限界”との出会いがまたひとつの転機となったことは間違いない。
自己投資が趣味のその先。〜学びを活かせていない自分との出会い〜
1年間とことん自分に投資をしてさまざまなことを学んできた。
学び好きの私は、”学びを活かす”という言葉を気軽に使っていた。
そして、学びの環境に感謝。も十分と思うほどしていると思っていた。
ところが、それらはつもり詐欺になっていないか。と考えさせられることが多い。
そんなもやもやを話していた矢先、同世代の友人に、
感謝をするということは、きちんと効果に出すことなのだと気付かされた。
学びを生かすことこそが感謝。
生かせていないのは感謝が足りないから。
学んで、その場で関心をして感謝をする。
そこで終わっては、その時間をつかってもらったことへの感謝がないのだなと。
いつかどこかで聞いた、自己投資は回収してこそ意味があるという言葉の意味をも少し理解できた気がした。
いまのわたしはまだまだ、効果が出せていない。
全然ダメだ。
わたしのために時間を使ってくださるたくさんのありがたい方に対する感謝を体現しなきゃいけない。
21歳は学ぶことで満足している自分がいたため、なおさら22歳のわたしの1番の課題である。
日に日に強まる”自分の意思決定を正解にしていく”想い。
21歳から22歳の1年間は、1日1日を噛み締めて命を燃やした。
これまでの人生で創られた義憤が志に変わっていた時間だった。
ずっと誰かが決めた固定観念や正解、幸せを信じて生きてきて、それでは幸せになれず。
これから生きていく世界は、正解などなく、自分で決めたことを正解にしていくしかない。
その難しさの中にある楽しさを知ったいま、もう誰かに正解を求めない。
自分で考えて価値観をもとに自分で意思決定するちからを磨く。
そんなひとが増えて欲しいと願いながら、まずは自分から。
人生設計はしっかりしながらも、一方で計画通りになるわけないと思っている自分。
自分ではどうすることもできない誰かの都合を、あらゆるリスクを、利用して、自分の都合を作っていく。
いまとてもわくわくしている。
まだまだやれる。これからも。
最後に
人生が好転したのは、すべて”ひととの出会い”という言葉に集約される。ご縁によって生きている。そう言っても過言ではない。
すべての出会いに、出来事に感謝したい。