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幕末を生きた「敗者」たちへの祈りの物語 赤神諒『碧血の碑』

 デビュー以来戦国ものを中心に活躍し、最近では江戸時代を舞台とした作品を発表してきた作者が、ついに幕末ものに挑戦しました。それも歴史上の「敗者」たちの記憶を留める「場所」に焦点を置いたユニークな短編集――それぞれの地で懸命に生きた人々の姿を描いた物語が収められています。

 「三条大橋で京娘と恋をしてこい」と、敬愛する近藤勇から突然の命を受けた沖田総司。任務一筋で奥手な自分を気遣ってのことだろうと考えた総司は、それから毎日三条大橋に通うようになります。
 しかし簡単に京娘が捕まるはずもなく、虚しく日々を重ねた末に彼が声をかけたのは、以前体調を崩した際に身分を偽って診察を受けた町医者の娘・沙羅でした。

 これが運命であったものか、互いに強く惹かれ合い、三条大橋で逢瀬を重ねる二人。しかし二人は互い隠し事を抱えていました。総司は、沙羅が嫌悪する新選組の人斬りであることと、三条大橋に立つもう一つの理由を。そして沙羅は、総司の身が病魔に犯されていることを。
 そんな中、二人は一緒に祇園祭に出かける約束をするのですが……


 この「七分咲き」に続く作品もまた、幕末の荒波に翻弄された末に「敗者」となった人々を、その縁の地に基づいた視点で描きます。

 養浩館での福井藩主・松平慶永との初引見において、いきなり破天荒な行動を取り、以来君臣の垣根を超えた交わりを結んだ橋本左内。慶永を支えながらも、安政の大獄で若くして散った左内が養浩館に遺したものを描いた「蛟竜逝キテ」
 朝廷と幕府の融和のためと、政略結婚で江戸城に入った和宮。夫・徳川家茂の深い愛に包まれながらも、義母・天璋院篤姫との確執に苦しんだ末に、己の役目に目覚めた和宮が江戸城の運命を変える「おいやさま」
 立身出世の野望を胸に、「横須賀製鉄所」建設を請け負った若きフランス人技師ヴェルニー。幕府側の担当者である風変わりなサムライ・小栗上野介を軽んじていたヴェルニーが、やがて深い友情を結び、悲劇を乗り越えて二人の夢に向かう「セ・シ・ボン」


 いずれの作品も、冒頭に述べたとおり歴史の「敗者」の物語であり、必然的に「悲劇」であるといえます。しかしその一方で、これらの物語は決して悲しさややるせなさだけで終わるものではありません。

 運命の恋を失い、己に課せられた任を果たすことなく倒れた沖田総司。敬愛する主君と共に夢見た国を形にすることなく逝った橋本左内。同じ平和な国を夢見て深く愛し合った夫を失い、生まれ育った地の人々と対峙した和宮。日本のはるかな未来のために奔走しながらも、罪なくして散ることとなった小栗上野介。
 確かに彼らは皆、己の望むものを得られなかった、自分の目で見ることはできなかったかもしれません。しかし、彼らの生は無駄だったのか? 彼らは何も遺すことはなかったのか? その問いに本作は答えます。「断じて否」と。

 彼らは運命に翻弄されて悩み苦しみ、そして志半ばに去ることになった――しかし、それでも己がやるべきことを全うし、己自身であることを貫きました。そして、たとえ自身は実を結ぶことはなかったとしても、それでも続く人々の間に様々なものを残し、その残像は彼らが生きた場所に刻み込まれている――たとえそれに気づく者は少ないとしても。
 だからこそ、本作の物語はどれも辛く哀しくも、しかしどこか透き通るような爽やかさを湛え、時に希望を感じさせてくれるのです。

 作者は、これまでのその作品の中で、そうした人々を描いてきました。しかし、現在まで続くこの国の在り方を巡り、数多くの人々が志を抱いて懸命に生きたこの幕末という時代は、その作品の題材に相応しいのではないか――そう感じさせられました。

 なお、本作には全編を通じて蟷螂という共通するモチーフが登場します。物語によって語られる意味は異なりますが、しかし私にとっては(第四話で語られるように)それは「祈り」の象徴であると感じられます。
 激動の時代を駆け抜け、散っていった人々への祈り――それは、本作の掉尾を飾るエピローグ的第五の物語、己が罪に問われることも覚悟の上で、「敗者」を弔い、祈りを捧げる碧血碑を立てた柳川熊吉を描いた「函館誄歌」に繋がっていきます。

 「敗者」への「祈り」の物語――ただ悲しみ、悼むだけではなく、彼らが確かに生きていたことを記し、彼らが成し遂げようとしたことが受け継がれ、未来に花開くことを祈る。本作に収められたのは、そんな想いが込められた物語なのです。


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