連続猟奇殺人! そして幾つもの鬼の姿 神永学『邪鬼の泪 浮雲心霊奇譚』
赤い眼の幕末の心霊探偵・浮雲の物語の最新刊・通算第九作は、浮雲一行が京に向かう途中の岡崎宿で、「鬼」による連続猟奇殺人に遭遇することになります。鬼の目的とは何か、そして本当の鬼はどこにいるのか。土方歳三は事件の中で、本当の自分自身と向き合うことになります。
己の運命と対峙するため、土方歳三と共に幕末の京に向かう浮雲。途中、箱根で遼太郎、三島で宗次郎という道連れを加え、四人となった一行は、なおも旅を続けて岡崎宿を訪れます。
しかし、そこで浮雲と遼太郎、歳三と宗次郎と二手に分かれた一行は、それぞれに鬼の仕業だという子供ばかりを狙った連続猟奇殺人事件に遭遇するのでした。
ごろつきに襲われていた小僧・円心を助けたことをきっかけに、彼が暮らす瀧山寺を訪れた浮雲と遼太郎。そこで二人は、寺に伝わる面をつけた二人の僧が鬼と化し、人を喰らったために封じられたという伝説を聞かされます。
さらに、今また残る面の一つが寺から盗み出され、残された面を被ったもう一人の小僧も鬼と化し、蔵に閉じ込められているというではありませんか。
一方、顔馴染みの医者を訪ねる歳三たちは、途中で子供の生首と抉り出された腸を目撃。医者からは、宿で子供ばかりを狙った鬼による猟奇殺人が相次いでおり、自分の孫も命を奪われたと聞かされるのでした。
さらに、定宿でも宿の息子が鬼に喰われたと聞かされた歳三は、鬼の棲家と噂される廃屋を訪れ、そこで惨劇の跡を目撃。そして川崎宿以来、周囲に姿を見せる朝廷方の陰陽師・蘆屋道雪の部下・千代と再会するのでした。
さらに、以前川崎宿で共に事件を解決した才谷梅太郎、浮雲の宿敵の一人である幕府方の呪術師・狩野遊山が現れる一方で、瀧山寺ではさらなる惨劇が……
江戸で憑きもの落としを稼業にしていた浮雲が、己の宿業を清算するため京への旅に出た第七作以降のいわば第二シリーズ。その第三作目に当たる本作では、浮雲一行が岡崎宿で巻き込まれた事件を描く長編となっています。
これまでも数々の無惨な事件が描かれてきた本シリーズですが、その中でも今回は特に猟奇的であるといえます。何しろ、子供の首が切断された遺体、それも内臓の一部を抜き取られたものが次々と発見されるのですから、相当にどぎつい内容です。
まさに「鬼」というほかない犯行ですが、本作においては「鬼」はそのほかにも様々な形で現れます。一つは、鬼を恐れるあまり他者を鬼に仕立て上げ、そしてその者に鬼に等しい仕打ちをする群衆心理(この辺りは前作の終盤を思い出させます)。
そしてもう一つの「鬼」は、土方歳三――シリーズの冒頭から登場している歳三は、慇懃ながら真意の読めない男として描かれてきましたが、第二シリーズではその心中が描かれるようになり、むしろ主人公的立ち位置にあります。
その心の中にあった暴力的な――いや、ヒトごろしへの衝動が、今回クローズアップされることになるのです。
なるほど、土方歳三といえば「鬼の副長」。今回の物語がその彼の原点になるのかもしれませんが――浮雲との関係性を思えば、まだまだドラマが続くことが予感されます。
そして、真の「鬼」の正体についてですが――ミステリであるため詳細に触れるのは控えますが、バラバラ殺人というミステリではある目的で用いられることでお馴染みの犯行内容でありつつも、首が残されている点が事態を複雑化させているのが、なかなか面白いところです。
特に、メインとなるトリックがある意味双方向のものとなっている点には、感心させられた次第です。
その一方で、「鬼」の犯行動機、さらにいえば事件の中心となった人物について時代ものとしての切込みがあまりに乏しいため、全体的にここまで入り組んだ事件になった(ここまでしなければならなかった)ことへの説得力に欠けるのはかなり残念なところではあります。
これまで本シリーズにおいては、佐幕・倒幕という立場が何となくふわっと描かれてきた感があります。しかし、ここまでレギュラーメンバーに歴史上の人物が増えてきた状況では、もう少し史実への踏み込みが必要だったのではないか――という点は、強く感じたところです。
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