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ワケアリ少女とワケアリ一家の温かい物語 黒崎リク『天方家女中のふしぎ暦』

 『帝都メルヒェン探偵録』『呪禁師は陰陽師が嫌い 平安の都・妖異呪詛事件考』等の佳品を発表してきた黒崎リクが、昭和初期を舞台に描くちょっと(かなり?)不思議で、心温まる連作です。ワケアリの少女が女中として雇われた天方家。そこもかなりのワケアリの家で……

 母を亡くして天涯孤独の身の上となり、引き取られた先で女中として暮らしていた結月。しかしある出来事がきっかけでそこを追い出された彼女は、紹介状片手に東京に出ることになります。
 そして住み込みの働き先として、郊外の天方家の女中を紹介された結月。実は女中がすぐに辞めてしまう曰く付きの家とも知らず、早速天方家を訪れた彼女は、療養中のはずの奥様本人に迎えられます。結月を歓待する奥様ですが、しかし彼女は宙に浮いていたではありませんか。

 片や、梓巫女だった母譲りで生まれつき霊感が強く、この世に在らざるものが見えてしまうために、周囲から気味悪がられる日々を送っていた結月。片や、奥様の閑子が幽霊(霊体)であり、主人の涼と息子の漣も、それを当然として受け入れている天方家。
 今までの女中たちは、常人には見えない閑子の存在を怪現象と思い込み(いやまあその通りですが)、逃げ出していたのですが――ごく普通に閑子が見えてしまう結月にとっては問題なし。ここに需要と供給が噛み合って、結月は天方家の女中として働き始めます。

 幽霊にもかかわらず(?)朗らかで優しい閑子と、穏やかな涼、ちょっと素っ気ない漣――それなりに個性的ながら、温かい環境で平和に日々を送れるかに見えた結月ですが、次々と奇妙な事件に巻き込まれて……


 人とは異なる力に悩み苦しんでいた主人公が、それが当たり前の奇妙な職場に巡り合い、そこで自分らしく生きていく――というのは、不思議系お仕事小説(という呼び名があるかはわかりませんが)では定番のシチュエーションです。
 その意味では、本作は定番真っ只中ではあります。しかしその「場所」である天方家の空気感の良さという点では、屈指のものがあるように思えます。

 そして、その空気感の八割近くは、奥様の閑子にあるといってよいでしょう。霊体つまり生霊ながら、ほとんど自覚がなく、自分で家事をしたがる(霊体なので物はすり抜けるのですが、念動力的なもので、中途半端にどうにかなってしまう)ために、女中たちを怖がらせてきた閑子ですが――自分を見ることができて怖がらず、しかも素直で良い子の結月が来たのですから大喜び。
 結月を自分の娘のように可愛がる姿は実に微笑ましく、それまで結月が苦労してきたことが語られているからこそ、彼女の温かさが心地よく感じられます。

 対する結月の方は、万事控え目ではあるのですが心優しく、他者――たとえ人間ではなくとも、そして生者ではなくとも――を慮り、その力になろうとすることができる少女。えてして本作のような作品の場合、そうした性格は事件や厄介事に巻き込まれやすいというのと同義であって、本作でもまさにその通りなのですが――しかしそれが読者に不快さを感じさせない形で描かれているのは、作者の筆力というものでしょう。
(そして、そんな結月の性格や閑子との関係性が、終盤の展開に繋がっていくのも巧みです)

 しかし、だからこそ物語には大きな疑問がつきまといます。何故閑子は幽霊になったのか。生霊というのであれば、身体はどうなっているのか。そしてそもそも、不思議なことが当然のように起き、受け入れられる天方家とは何者なのか……
 そんな疑問の数々の先にあるクライマックスは、これまでの物語とガラッとタッチの変わったシビアな展開であり、特にある人物の行動には、憤りを感じる方も多いと思われます。

 しかしそこには先に述べた閑子と結月をはじめとする、結月と天方家の人々、キャラクター相互の関係性(はじめは友好的でなかった漣との関係性の変化も、そこでは大きな意味を持ちます)が確かに関わっています。
 だからこそ、憤りや悲しみを感じる部分はあれど、それはこの物語が結末を迎えるのに必要な展開だと納得できるのです。

 もちろん、その結末自体は、本作に相応しい、温かいものです。だからこそ、この先の「天方家」の物語も読んでみたいと思ってしまうのです。

 ブログでの『帝都メルヒェン探偵録』の紹介記事はこちら。

 『呪禁師は陰陽師が嫌い 平安の都・妖異呪詛事件考』の紹介記事はこちら


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