雑草から学ぶ「雑」のたくましさと多様性。~そしてネガティブ・ケイパビリティも
雑草、タダならぬ存在
我が家の庭の雑草は強烈だ。
家を建てて5年経つけれど、半年もしないうちに雑草は芝庭にはびこり始めました。
毎年ラウンドアップをばら撒くのが恒例です。
もうイネ科は最悪。
根っこが固く、すんなり引っこ抜けない。
この強力な抵抗力は「おおきなかぶ」にも勝ちそう。
マメ科のカラスノエンドウは、放っておくと本当に実をつけ始め、食べれるくらいに…。
(食べれるくらいに本当に大きくなるのか興味があり、放ってみたっていうのが正解)
ああ、雑草というものは、本当に手強いなぁ。。
私、実家で草むしりさせられていたから、「自分が家持つ時は絶対庭なんて要らない」とか思ってたのに。
なーんで、マンション売って、わざわざ庭付き戸建て選んだかね。
と、雑草に嫌悪感も抱きつつ、
先に挙げたエンドウの花は可愛らしいなと思う。
ツユクサやシロツメクサとかも可愛いよね。
ただ、可愛いなと道先で見つけた一輪の雑草が実は特定外来種で、生態系を脅かす存在だと知った時は、
「雑草、やっぱタダもんじゃねぇな!」と軽く膝を打ったり。
雑草に関しては、自宅に庭を持ってからタダならぬ存在感を感じてきました。
で。
以前、ネガティヴ・ケイパビリティについて書いたのですが、それ関連をググってて見つけたのがこの対談。
雑草から学ぶことの多いことよ
雑草から学ぶ生き方や戦略について、農学者の稲垣氏が語っています。
これが私的にとてもぴたーっ!とハマった内容で、要は面白かったので、
稲垣氏の御本まで読んでみました。
まずは上記の「ザッソウラジオ」の中身から。
別分野のお三方が語っている内容が全て納得感のあるものでした。
各見出しだけでも興味をそそられて、どこを抜き出そうかという選択ができないので、私が特に共感した箇所を列記します。
そして、書籍の内容もラジオと照らし合わせて自分なりにかみ砕いていきました。
雑草の生き方って、人間の生き方にも当てはめられるよね。
っていう理論のお話なんです。
「ニッチ」って建築用語だけど、そんな風にも解釈されるんですね。面白い。
雑草は魅力的だった
目立ちたいとか、でっかいことやりたいこととか、えらくなりたいとか、そういった野望なんてなくても。
自分は何の功績もないと感じても。
それをさげすむ訳ではなく自分に合う合理的な生き方を選べば良い。
まとまりのない場所や考えから何かが生まれてきて、大きな強みになる可能性がある。
小さいリスクのチャレンジで、少しずつ広げていく雑草魂はたくましい。
ここでネガティブ・ケイパビリティの話の続きをするならば、
ネガティブ・ケイパビリティが将来の事業や発想のタネになりうるということなのです。
「雑」な存在って、隠れた原石ってことなのかもしれません。
だってね、
かのアインシュタインの机上だってグッチャグチャで、
よくあんな中であんな激ムズ理論を生み出せたな!って感嘆しちゃうし。
あ、机上の汚さはコレに当てはまらないのかな?
と、そんな感じで、そんな生き方を人間よりもずっと先に遂行している雑草に学んだのでした。
実は本当に奥が深いんだな、雑草。
この一記事で埋まらない雑草の魅力ったら。
雑草の存在に振り回される私。
その雑草に感銘を受ける私。
そして、雑草が羨ましくなる私。
私は、誤解を恐れずに言うと「普通」の人間。
特別尖ったナニカはなく、平均的な部分が多い。
「普通」ゆえに迷うし悩むし尻込みする。
だから、雑草にすこし元気づけられました。
ネガティブ・ケイパビリティは続くよ
私のネガティブ・ケイパビリティは実はあれからも続いていて、
モヤモヤした霧を時々脳裏に感じながら、日々を過ごしている状況です。
書き起こしてもうまくまとまらない。
「分かった!」と結論づけるには、もう少し経過が必要そう。
何が正解か違うのか、自分だけのこたえはいつか自分で決めるしかないけれど、
(だって自分のことだもの)
ざらついたアスファルトの端の目立たない箇所にとりあえず身を寄せて、そこで過ごしてみたいと思います。
_終わり
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