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ショパンについてゆるく書く。

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ポケットにおさまるショパンを目指します。
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記事一覧

ショパン家へようこそ!1:エミリア・ショパン

ショパン家へようこそ!1:エミリア・ショパン

推しの家族の情報は必修科目 久しぶりの記事になってしまった。推しであるフリデリク・ショパンの友人を探る試みはいくつかこなしてみたが、家族については必修科目であるが故になかなか手が出せないでいた。しかし、今これを書いている4月10日は、ショパン家の末娘、エミリアの命日である。誕生日じゃないのか、というツッコミはさておき、ようやく家族の調査に手をつけてみたのでお付き合いいただけたらと思う。

エミリア

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ショパン友人帳5:コンスタンティ・プルシャク

ショパン友人帳5:コンスタンティ・プルシャク

久しぶりの友人調査 前回の記事から随分と時間が経ってしまった。断じてショパン活動を怠っていたわけではない。今回調査したい友人はショパンの数多い親友の一人、コンスタンティ・プルシャクだ。

コンスタンティ・ヤン・ユゼフ・イェジー・プルシャク(Konstanty Jan Józef Jerzy Pruszak)
1808年3月1日ワルシャワ/1852年11月1日同地
愛称:コストゥシ、コット、コチョ

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ショパン友人帳4:エウスタヒー・マリルスキ

ショパン友人帳4:エウスタヒー・マリルスキ

気ままにショパンの人間関係を探る 前回の「ショパン友人帳」の投稿から少し空いてしまったが、今回もフリデリク・ショパンにどんな友人がいたのか明らかにしていこうと思う。今回ご紹介する友人は、フリデリクの親友としてとても有名というわけではないが、欠かせない人物、ショパンファンは感謝しなければならない人物だ。

アントニ・エウスタヒー・ユゼフ・マリルスキ(Antoni Eustachy Józef Mar

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ショパン友人帳3:ドミニク・ジェヴァノフスキ

ショパン友人帳3:ドミニク・ジェヴァノフスキ

教えてくれショパンの人間関係 フリデリク・ショパンの友人について、何人かは名前くらい挙げられるとは思うが、まだまだまだまだ知識が足りない筆者が、記事を公開するという負荷をかけて、何より自分のためにちょっと詳しい友人帳を作る……そんな試みももう3回目となった。今回は、フリデリクの人生の中の楽しい記憶として、また彼の音楽を形成していく上で重要な経験を与えてくれた「シャファルニャでの夏休み」の重要人物だ

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ショパン友人帳2:ヴィルヘルム・コルベルク

ショパン友人帳2:ヴィルヘルム・コルベルク

知りたいショパンの人間関係 フリデリク・ショパンのモンペである筆者がショパンの交友関係をギラギラと調べるシリーズ第2弾。今回ご紹介するのは、ワルシャワっ子のおぼっちゃん。なぜ今回この人物なのかというと、誕生日も命日も6月だったからである。

ヴィルヘルム・カロル・アドルフ・コルベルク(Wilhelm Karol Adolf Kolberg)

1807年6月13日ワルシャワ生/1877年6月4日ワ

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推しの展覧会『ショパン 200年の肖像』に行ってきました。

推しの展覧会『ショパン 200年の肖像』に行ってきました。

私の推しについてFryderyk Franciszek Chopin
(ポーランド語表記フリデリク・フランチシェク・ショペン) 
Frédéric François Chopin
(フランス語表記フレデリック・フランソワ・ショパン)
1810年~1849年
ポーランド生まれのピアニスト、作曲家、ピアノ教師。結核で39歳の若さで亡くなる。ちょっとワガママで毒舌で神経質。瘦せっぽちで病弱。甘いものが好

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ショパンの手紙、可愛い♡を集めました

ショパンの手紙、可愛い♡を集めました

「ピアノの詩人」フリデリク・ショパン(1810~1849)
手紙に関する前回の記事「ショパンの手紙催促・文句集めました」で、ショパンの自由人さを見つめてみたので、今回は視点を変えて、「かわいいな」と思えるような部分を1825年~1827年の書簡の中から血眼になって探した。

今回も、ショパンはおろか、クラシック音楽の知識は全く必要ないので、気軽に読んでみていただきたい。
なお、訳の他に、「いいね!

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ショパン友人帳1:ヤン・ビャウォブウォツキ

ショパン友人帳1:ヤン・ビャウォブウォツキ

気になるショパンの友人関係 ショパンのモンペなので、ショパンがどんな友人と付き合っていたか気になる。そこで、ショパンと親しくしていた人物を一人ずつ調べていくことにした。今回は10代のショパンに暑苦しいまでに愛されたこの人。

ヤン・ビャウォブウォツキ(Jan  Białobłocki)1805年ソコウォーヴォ生/1828年3月31年ソコウォーヴォ没
愛称:ヤシ、ヤショ、ヤシェク

ショパンとの出会

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ショパンの手紙催促・文句集めました

ショパンの手紙催促・文句集めました

「ピアノの詩人」フリデリク・ショパン(1810~1849)が14歳~16歳頃の手紙の中で、友人に手紙の返信を催促している部分を選び、抜き出して訳してみた。
ショパンに関する知識、クラシック音楽に関する知識がゼロでも問題なく楽しめると思うので、そういった方も読み進めてみて欲しい。

1824年8月19日
ヴィルヘルム・コルベルク宛(手紙の最初の部分で)親愛なるヴィルシ!
君が僕を覚えていてくれたこと

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元日のショパン

Dziś Nowy Rok; jakże go smutnie zaczynam.
「今日は新年。なんてわびしい始まりなんだ」

おせちを食べなくとも、初詣に行かなくとも、等しく新年はやって来る。
私にも、あなたにも……1831年のショパンにも。
そこでこんな言葉が出てきてしまうなんて、一体ショパンの身になにがあったのか。

冒頭の一文含め、今回は1831年1月1日に書かれたとされる、親友のひとり

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ショパンのクリスマス

「ショパンのクリスマス」と聞いて、「お、もしかしてスケルツォ1番のネタかな?」と思う人はどれくらいいるのだろうか。

今回書きたいのはそのことではなく、1825年---15歳のショパンのクリスマスに思いを馳せることにしたい。

1825年の12月24日、クリスマスイヴの夜。
クリスマスの食卓につく前、ショパン少年は空腹にも関わらずペンを取り、親友ヤン・ビャウォブウォツキへの手紙を書き始める。ショパ

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