カウンセラーになったのは、高校三年の時に3か月間、家出をしたからです。①
今、沖縄で臨床心理士としてお仕事をさせていただいていますが、面談をしていて時々、どうしてカウンセラーになろうと思ったのですか?と聞かれます。実は、高3の時に家出をしたことがきっかけの一つです。家出と言っても、2,3日ではなくて、3か月です。
カウンセラーとして、自分の話をどのように、どこまでするのかは、実は、この臨床心理の世界では古くから議論になっているところなのです。伝統的な考え方からすると、心理療法の場はクライアントのための場であり、クライアントの内的世界を探求する場なので、自分の話はすべきではないということになります。
でも、この度、先輩の心理士の皆様にならい、開業する決心をしたときに、インターネットを通して、自分の顔と、名前を出して、(ちなみに、頭=スキンヘッドも公開しています)、皆様に知っていただく作業をしていると、自分の人となりを知ってもらい、この先、ネットや、対面でお会いすることになる方々に、いい意味で安心していただくのも大切なことかと思い、ブログにします。
私は、育ちが神戸なのですが、高校の時に、関西のある進学校に通いました。志望校に合格したのはよかったのでしょう。しかし、中学で、部活もせず、ひたすら塾通いをして(中3では、週に5日、一日4時間!pm6:00~10:00)、ちょっと燃え尽きてしまったようです。
何か、空虚な感じを抱きながら、高校生活が過ぎていき、進路のことを考える時期になりました。私が、高2、高3というのは、90年代の中ごろ、ちょうどバブルの時期でしょうか。
大学というのは、遊びに行くところ。4年間遊んで、そのあと大きな会社に入って、そこでまた会社にあわせて勉強する。大学受験は苦しいが、何のために勉強するのか、目的を考えたら負け。4年間遊ぶためのパスポート取得のための我慢料。それでも、一応、理系か文系は決めておけ、、、
こんな空気が支配的でした。
でも、高校2年、3年の青年、松本は、目的をもって学ぶのが当たり前のはずと、当時の風向きとは逆に、自分が何を学びたいか、どうなりたいかを考え、そして、進路、大学選びを考えました。
きっと、青年、松本の抱えていた空虚さは、人が生きる目的、これが見えにくくなってしまったということにあったんでしょうね。
当時、針きゅう、理学療法士、福祉の仕事などいろんな職業の人に、無理を言って時間を作ってもらい、会いに行ってどんなお仕事なのか、聞いて回りました。(親に知り合いがいないか聞いたり、電話しまくり作戦でした。)
その結果、理想に満ちて、いろんな人の話を聞いたわりには、「自分は何をやりたいか、わからない」という身もふたもない結論に到着しつつ、少なくとも、大学で心理学と英語は勉強したいという、消去法のような方向性が出てきました。
いろいろ調べるうちに、心理学と英語が勉強できる学校がいくつか、候補があがるなか、母校の国際基督教大学(ICU)という進路が見えてきました。
高2から高3へかけての春休みでしょうか、ICUのキャンパスを見に行きました。
もう、高校生の松本には、キラキラしてました。
確か、親戚か何かのつてを頼りに、在校生の方にもお時間を取っていただいて、お話しさせていただいたように思います。
校風として、在学中に遊ぶということよりも、しっかりと目的意識をもってICUに来る学生が多いことも聞き、この学校がいいと思いました。
ところが…
このことを母親に話したとき、母親が、ICUもいいかもしれないけど、国公立もいいのよ、というではありませんか。
昔の私「いや、公立の○○大学は、行きたいところじゃないから」
母「受けるだけ、受けてみたら」「ほら、世間は、公立の○○というといい大学と思うのよ」
私「いやいや、世間は関係ないでしょ、自分が何を勉強したいか、何を身に着けたいかそれが一番大事でしょ」
母「でもね…」
母とはこれの無限ループが続くのでした。
そして、高校3年の進路の相談の時期、当時の担任の先生と面談をしたとき...
担任「松本君、君は志望校はどうするの?」
私「東京のICUを考えています。」
担任「…」 「そんなところ、考えんでよろしい。公立の○○大学は?浪人しても、国立の○○大学に行く生徒も多い…」
この進路の相談の時は、その後の話は聞こえていませんでした。自分なりに考えての結論が、ICUだったのですが、考えんでよろしい、というので、頭を殴られたい等しい衝撃でした。
25年ほど前の出来事ですが、今なら、母親の立場、先生の立場がよく伝わってきます。そして、家出をして、大変ご迷惑おかけしました。しかも、3か月も!!
まず、母親の立場ですが、私は兄弟3名で、全員男で、2歳違いずつです(男3人、2歳違いなので、小さい頃は、毎日がカオス)。私は、真ん中です。
兄は、私立の大学、そして、弟は医療系の専門学校に行きたいと言っているよう。そして、真ん中の私は、ICUに行きたいと。
母としては、 ICU?! 私学で、え?なんでこんなに学費高いの!! ひえー! この子だけでも、なんとか国公立に行かせて学費を抑えないと!! お金が回っていかないわ!!
こんな考えだったんでしょうね。でも、母親として、「お金が回っていくか心配だから、お願い、国公立に行ってほしい」とは、親として口が裂けても言えなかったようです。
当時の私の、目的なく大学に行くのはおかしい、とりあえず、世間体がよいからいい大学に行くというのはおかしい、という、キラキラ、ピカピカの理想ど真ん中の考えに対抗できた唯一のカードは、おそらく、母親の「お願い、お金が回らんのよ!! 子どもたちみんな、お金がかかる進路ってどういうこと!!」という本音の直球のみでしたが、ここは親とはすれ違いました。
そして、高校の担任の先生とのことですが、まず、当時は大変ご迷惑おかけしました。卒業証明などいただきに学校に行ったのですが、その時、松本君、ごめんな、とおっしゃっていただいて、やはり、こんな風に言える先生って立派な先生と思います。
担任の先生が、そんなところ、考えんでよろしい、といったのも無理はなく、関西の高校に通っていましたが、卒業生のうちでICUに行ったことがあるのは、私ぐらいのものだったようで、知名度として知られていなく、また、高校としても、ある程度規模の大きな私大で関西からも名前の知られている学校、早慶とか、国公立に行く卒業生が大半だったのです。
シンプルに、担任の先生にとって、ICUというのは、全く聞きおぼえのない大学名だったのです。
ただ、当時の私には、現実の対処をしっかりと持っていた母親の視点も、担任の先生の考えも、配慮するような余裕などなかったのです。
【長くなりました、、、続きはまた明日!】