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「続ける」を続けることは難しい

毎日私のnoteを読んでくれている方はもしかしたら気づいたかもしれないけれど、昨日しれっとnote更新をサボってしまった。11月は毎日noteを更新することを目標にしていたのだけれど。26日で更新ストップ。毎日noteにばかり捉われるのは嫌だけど、やっぱりここまで続けていたからこそ、とても悔しい。ああ、昨日の私、何で22時に寝落ちしてしまったんだ。

昨日は朝から激込みの嵐山に紅葉鑑賞&食べ歩きをしに行き、人ごみに疲れて昼すぎに退散、そのまま昼飲みができるお店に行ってビールを飲み、ほろ酔いのままライブへ。ライブハウスから家までの往復1時間を歩き、家に帰ってライブの余韻をつまみにもう一杯ビールを。結果を見ないようにしていたワールドカップをAmebaで見ながら、いつのまにか寝落ちしていた。

充実感に疲れ果てていた1日。noteを書く時間すらないほどの満足な1日だったと言い換えられるけれど。朝起きて真っ先に思ったことは「寝てしまった」ということではなく「noteを書いていない…」ということだった。ああ、毎日頑張ってきたのに、と。

話は変わるけれど、やっぱり「何かをひたすらに続けている」人って本当に本当にすごいと思う。続ける、って地道だけれど、誰でもできるわけじゃない。日記を毎日綴るとか、Twitterを毎日つぶやくとか、何年もの間同じ趣味を楽しんでいるとか。勉強だって仕事だって日々の生活だって。「粛々と続ける」が地味で注目されないけれど、一番難しいことだと思うのだ。

私も去年の今頃はInstagramの運用を頑張っていた。今では信じられないけれど、週5ほど更新をしていて、隔投稿ではphotoshopで文字入れをした画像の投稿をしていて。けれど、当時は日々更新を続けることが苦ではなかったし、「~しなきゃ」という義務感もなかった。

「続ける」をある程度続けた先には、習慣化が待っている。もはや夜に投稿を作るのが日々の中にしっかりと組み込まれていたのだ。いろいろあってInstagramの更新は今ではまったくしていないのだけれど、今でこそもう一度再開するならば継続は苦しくなるはずだ。

「続ける」を一度辞めてしまえば、あっという間に日々の中からは弾き飛ばされてしまって、それは習慣ではなくなる。再開しようとすると一番苦しい時期の「続けるを続けること」から始めないといけない。

だからこそ、仕事でも趣味でも暮らしでも、「続けるを続けること」をした先の人は、心から尊敬する。続けていることを「続けている」という認識すら持っていないほどに、日々に当たり前に溶け込ませている人たち。苦しい時期を乗り越えてきた人たち。何かを続けている人や1つのことにひたむきに向き合っている人に出会うと、私はそんなことを考えてしまう。

私もそういう人になりたい。やりたいことはたくさんあるけれど、何か1つ、まずは「続けるを続けたい」と思えるものに出会って、ひたむきに、夢中になってみたい。毎日noteの更新は途絶えてしまったけれど、飽きるまで続けてみたい。もっともっと寝落ちすらできないほどに当たり前にnoteを書く時間、すなわち私自身の感情と向き合う時間を大切にできたら、と願う。

毎日更新がストップしてしまったことで、改めて「続けるを続けること」の難しさと、それを当たり前のようにしている人たちのすごさを思い知った。明日からも、楽しく、夢中で続けていたら。

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misaki|散歩日和
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