愉快な生活を続けるために必要な時間 │ 京都音楽博覧会2024
くるりが主催の音楽フェス「京都音楽博覧会2024」へ行った。行く、といっても、会場の梅小路公園は家から歩いて20分くらいの場所にあるので、散歩の延長で立ち寄る、といった表現がしっくりくるのだけど。「晴れてよかったねぇ」と何度も夫と確認し合いながら、1日のワクワクを予想しながら、家からのんびり歩く。本当に、雲一つない晴天だった。
京都音楽博覧会(以下、音博)の好きなところは、いろんなジャンルの音楽が集まるところ。私も夫も普段はロックバンドを聴くことが多いけれど、音博ではその名の通り、「博覧会」のように、さまざまなジャンルの音楽に出会えるのが醍醐味。
あえて知らないアーティストに関しては予習をせずに、その日の雰囲気や音の風景を目に焼き付けたいと思っていて。それが予想以上に楽しい。盛り上がるだけがフェスではなくて、ただただじっくり音を感じることもまた、フェスの、音楽の楽しさであるということを実感する。
だって、CHO CO PA CO CHO CO QUIN QUINのよく分からない多彩な楽器を用いた音楽はどこか遠くの世界へと漂わせてくれた気がするし、菊池亮太さんのピアノの音色は優しくて優しくて、青空に良い意味で似合わない繊細な音だった。青空の下で聴く爽やかなKIRINJI、今回くるりとの共演ですっかり魅了されてしまったDaniele Sepe & Galactic Syndicateの音は最高すぎて、ずっとずっと聴いていたかった。強い日差しがふっと和らいで夕暮れの空気漂う中の羊文学は強くも少し脆くて、綺麗な夕焼けを横目にASKAの名曲を聴けるだなんて思いもしなかった。夕暮れのなかの弾き語りがすっごく良かった。
これまで100回以上のライブに足を運んでいるけれど、それでもまだ好きな音楽が増えていって、新しいジャンルが歳を重ねると好きになったりもして、だから音楽を好きでいるのは辞められないなぁと思う。好きな音楽が増えるたびに、人生捨てたもんじゃないなぁと思える。そのきっかけを音博が優しく差し出してくれるのだ。
そして、トリのくるり。歳を重ねれば重ねるほどくるりの音楽が深く深く好きになっていくのはなぜだろうか。一つ一つの音を逃すまいとついじっくりと聴き入ってしまう。まるでオーケストラの生演奏を聴いているかのような贅沢なバンドセット。秋の夜風に吹かれながら、こんなにも心地よい空気の中でこんなにも贅沢に音楽を聴いててもいいのか!と感動する。潮風のアリアのはじまりのサックスの優しさに思わず涙が出そうだった。
去年も一昨年も雨で、寒い中の音博だったけれど、今年は暑いくらいの晴天で、秋フェスらしい柔らかな風が心地よかった。夫と感想を言い合いながら余韻に浸りつつ帰る家までの道のりも音博の醍醐味。
去年は引越しと結婚をしたばかりで、梅小路公園までの道のりにはまだぎこちなさがあった。一昨年は、そういえば、まだ夫と付き合いはじめて3週間たらずで、隣にいた人をまだよく知らない時期だった。それが、不思議なことに、今年は当たり前のように続く毎日の延長でまるで地元の人、みたいな顔で立ち寄れるのが嬉しい。音博の記憶をたどることで、すっかり、京都での暮らしも、夫との暮らしも、日常に馴染んでいることを確かめられる。
ちなみに2日目は、昼過ぎに起きて自転車で梅小路公園に行き、音漏れをつまみにビールを飲んでいた。ゆるく音漏れを楽しむ家族連れなんかもたくさんいて、音博関係なく公園の隅っこで遊んでいる子どもたちもいて、街に溶け込んでいる優しいフェスだなぁと感心する。
来年も散歩がてら訪れるかもしれないし、もしかしたら京都を離れてしまっているかもしれない。こうやって取り巻く環境や私自身の気持ちは変わっていくけれど、私は私なりの心地よい場所を守り抜いていきたい。くるりの音楽は、ささやかな生活を健やかに愉快に過ごしていくためのものだなぁとつくづく思う。音楽、というよりも、生活、というような。楽しかった、という感情だけでなく、私はこれからも生活を続けていくのみである、と静かに静かに感じる時間、というのも音博のよさなのかもしれない。
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