
海について
「海が日常のなかに溶け込んでいる暮らし」
これが、私にとっての憧れの暮らし。
今日は、海なし県で生まれ育った私の、執拗なくらいの海に対する憧れについて。

旅をしながら暮らす、多拠点生活をしていてやっぱり思うのは、海が生活に根付いている街に憧れるということ。決して泳ぎに行きたいわけではなくて、毎日の生活の余白に「海を見に行く」という習慣が欲しいだけ。
だからこそ、そんな習慣をつくれる海の近い街に心底憧れていたのだと思う。
岐阜生まれ・岐阜育ちの私にとって、夢のまた夢だと思っていた暮らし、海のある暮らしはずっと憧れだった。

多拠点生活をする中で、
・兵庫県神戸市灘区
・広島県尾道市
・大分県別府市
・佐賀県唐津市
・福岡県北九州市門司港
など、吸い寄せられるように”海のある街”を渡り歩いていく。”海が近くにある”、ただそれだけの暮らしなのに、こんなにも心地いいなんて知らなかった。
そして、旅行先でしか海を見ることの無かった私は、生まれたときからこの心地よさを享受している人たちがいることに嫉妬をしてしまった。
これは岐阜に生まれて育ったことが嫌だとか、違うとこに生まれたかったとかそういう次元とはまた別の話で。26年間、海のある暮らしをしてこれなかったことに悔しくて寂しく感じる。この心地よさを知らなかったことが悔しい。
ないものねだりなのかもしれないけれどね。

海がある街を練り歩くなかで、海のある暮らしがもたらしくてくれる幸せを、生まれて初めて享受した。
門司港の駅に降り立って、スーツケースひっさげながらそのまま海に向かって。「あ、ここ絶対はまるだろうな~」と直感で思った。なぜかなんて説明はできないけれど、「なんとなく」な直感って大事。#住みたい街集め
— misaki 🌿|旅暮らしフリーランス (@misaki_she) December 4, 2021
まさに、尾道駅や門司港駅を降りて、駅を抜けた先に広がる海をみたときに、「絶対この街を好きになる」と直感を覚えた。
そして、ただただ”なんとなく”な感覚で、心から海のある暮らしを過ごしてみたい、と感じている。
そして今なら住む場所を選択できる、だからこそ欲張りに自分が気に入った場所に住みたいと思う。
元々生まれた場所といえば、たまたま両親がそこに住んでいただけだし、私の意思とはまったく関係ないところで決められていて。だからこそ、自分で住む場所を決めたい。思い切りわがままに、心から”良い”と思った場所での生活をしてみたい。
旅暮らしを始めてから、毎日の何気ない景色や街の空気は、幸福な人生を歩むためには必要不可欠ということを五感で味わっているからこそ。

朝、海を眺めて「今日も良い1日になりそうだなぁ」と感じて、仕事の合間に散歩に出ればいいリフレッシュになって。夕方になれば海に沈む大きな夕日を眺めて「1日頑張ったなぁ」と思う。果てしなくシンプルな、海と共に暮らす生活。

なにも海に対して特別な思い出を作りたいわけではなく、ただ単に毎日に海を眺める”心の余白”を作って、その余白の中で生まれる思考とか幸せとか空の変化とかを感じていたいだけ。
ひっそりと静かに海のある暮らしを過ごせる幸せをかみしめたいだけ。なんだと思う。
海への執拗な憧れの原点は、1つの音楽
こんなにも海に対しての執拗な憧れを持ったのは、実は高校生の頃に聴いていたある音楽がきっかけ。
cinema staffの「海について」
同じく岐阜生まれ・岐阜育ちだった彼らの、海に対する羨望や憧れがこれまでもかって詰まっている(と私は強く感じる)曲。この曲を高校生の頃からずっと聴いていて、この曲を通して「海のある暮らし」への憧れをどんどん育てていった。
この曲の中の何気ない歌詞に、いつもぎゅっと心を掴まれている。たとえば、こんなさりげないフレーズに。
思っていたより、日差しが強くなってきて、日焼け止めを買った。
話をしたいな。どこでもいいから、欲を言うなら、海が見えるとこで。

特別なことはしなくてもいい。誰かと海を見ながら話をしたり、海を眺めながら本を読んだり。ただひたすらに青い海を見ながら散歩したり、ぼーっと眺めたり。そんな”ささいな”海のある暮らしをしたいだけなんだ。

なんとなく”あ、いいな”の感覚

尾道に降り立ったときも、門司港の駅を抜けたときも、「あ、絶対好きだな」という根拠のない予感があった。
(ちなみに、尾道にはあまりの居心地の良さに延泊を繰り返し、結果16日間も滞在した。)
駅を抜けた先に街と、海。建物と建物の間に青く揺らめく海が見えたときに、”なんとなく”な感覚でこの街は気に入るだろうなって感じた。そして、そのなんとなくな感覚はやっぱり当たっていた。

旅暮らしのなかで、毎日新しい景色や街に出会うことで、こういう”なんとなく”から感じる心の動きに敏感になった。つい言葉にできないから見逃してしまいがちだけれど、少し立ち止まって、自分の感じたことをじっと眺める。
そこで「なんで心地良いと感じたのか」と無理やり考える必要はない。海の街に対して私自身が”なんかいい”と感じること。
この曖昧な気持ちは、きっと今までの経験や海に対する憧れ、自分と街のフィット感、すべてが重なり合っているからこそ生まれる何かしらの感情で、しっかりと言語化することは難しいと思う。
だからこそ”なんか理由は分からないけど惹かれた”、その事実自体はしっかり忘れずに心の奥にそっと残しておきたい。この直感で感じる何かをしっかりと掬い上げてしまっておきたい。
いつか、海の近くで大切な人たちと語り合ったり、散歩に行ったり。それが日常になる暮らしをしたいな。私のささやかな夢。
▶旅をしながら暮らすリアルをInstagramで発信しています
@msk_kurashi
▶多拠点生活、旅暮らしについての想いは下記noteで。
いいなと思ったら応援しよう!
