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1番にこだわる必要ってないのかもって思い始めたこと

今日も1日、おつかれさまです。

今回は、私が最近感じた、
1番にこだわる必要はないかもしれない
ということについて、話していきます。


人はまわりと比べたがるもの

人はそもそも、まわりと比べたがる生き物だと思います。
もちろん、文化や故郷、経験や環境などの違い
から、
すべての人がまわりと比べるとは言いきれません。

比較することは全くない人だっているでしょう。

あくまで、日本生まれ日本育ち、田舎出身、
パスポートもなく一度も日本からでたことのない、私の考えでしかありませんよ。

私の経験では、
運動会、テストの順位、コンクール、部活の大会、などなど、
なんでも順位がついたり、競いあったりしてきました。
そのなかで、嬉しい思いも悔しい思いもしてきました。

この経験から、何事に関しても、順位がついて、競いあうことが当たり前に感じ、
まわりと比べる傾向が強くなっていました。

自分が1番になろうとしていた

順位がつくことで、
自分の現状を知ったり、
もっと頑張ろうという気持ちがでたりします。

これは、良いことといえるでしょう。

ただ、私の場合は、
順位がつくなら、何かしらで1番になりたい
って考えていました。

誰しもが1番になってみたいとは、
思うかもしれませんが、
そう感じたきっかけが、私の場合は悪かったのかもしれません。
あとでまた話しますね。

私の場合は、運動神経は皆無なので、
スポーツ関係は厳しいので、諦めていましたが、、、

その他のことで、なにか1番になりたいって
思いました。

それでも、私はただの平凡な人でしかありません。
何事も1番になるのは難しかったです。

多少、記憶力がいいものの、
多少の記憶力では、
勉強も歌も絵も何もかもが普通でした。

1番になるのって難しいんだなって
感じます。
ちょっとした挫折の経験です。


1番じゃないと愛されないと感じていた

私が1番になることにこだわっていた理由を
話します。

私は、1番じゃないと愛されない
と感じていました。

その原因はよくわかりませんが、
思い当たることも少しあります。

たとえば、
私は幼い頃から、
なにか良いことができたら、そのときはほめられました。
漢字が書けたとか、1人で本を読んでおとなしくしてたとか、注射をしても泣かなかったとか。

良いことをすれば、ほめられる。
そう感じていた私は、1番になるって
すごいことだから、
1番になったら、ほめられる。

1番なら、愛される。
と考えていました。

だから、何かで1番になろうとしてたのです。

まぁ、1番になるなんて、そう簡単なことではありませんでしたね。

それはそうなのです。
だって、金メダルを獲得するような人は
限りない努力を何年も積み重ねています。
並べる内容としてはふさわしくないかもですが、
学生時代に1番だった人は、あり得ないほどの
時間をかけて勉強していました。

私にはできない努力を積み重ねてきた人が、
1番になるのです。


愛されていたいと、必死になっていた

それでも私は、
愛されていたいと必死になりました。

何かで1番になれないなら、
誰かの1番になりたい
そんなことを考えていました。

あなたの1番になったら、
私のことを1番に愛してくれる?
なんて、とんだ歪んだ愛の受け皿ですね。

だから、
相手の1番になりたくて、
相手の理想になろうとしていました。

見た目も中身も、できるだけ理想の姿に
なろうとしていました。

でも、私は私でしかありません。
私は私だから、相手の理想になるなんて、
不可能にちかいです。

自分の理想のためではなく、
相手の理想のために頑張るのですから、
何がゴールかなんてわかりません。

こうあってほしい、そうなってほしい、
そんなことを言われて、
すぐになれるなら、
1番にだってなれていたし、
なんの苦労もしないでしょう。

結局、相手のとめどない理想になんて、
なれませんでした。
私はしょせん、私なんです。


自己否定のループ

相手の理想になれなかった私は、
私なんてだめなんだ
と、自己否定をしていました。

相手の理想になれないから、愛されない。
1番になることなんてできない。

こんなこともできない。
なにもできない。
理想になることなんてできない。
私は自分が嫌いでした。

自分が嫌になって、
こんな自分は愛されるはずがないと、
決めつけて、苦しんで。

愛されているか試そうとして、
なにもできない私なんて、嫌い?
なんて聞いていました。

嫌いじゃない。
その言葉に安心しても、
またなにもできなくて、
理想になんてなれなくて、
結果的に自分を否定する毎日。

このまま消えてしまえたら、
なんて考えていました。

相手の理想になることが、
相手の1番になるため、
愛されるために、必要なんだ
と、考える一方で、

理想とされる自分になんて、なれなくて。

今となっては、
あくまで相手の理想であって、
私にとっての理想ではないもの、
そう簡単には実現できないし、
実現できても、一生自分のことは否定し続けていたかもないなって、感じていますが。

当時は、
相手の理想になれない私は、
必要とされない、愛されないと思っていました。

相手の理想に近づきたくて、
どうしても相手の理想になんてなれなくて、
自分を否定して、、、
自己否定のループ。

苦しい。
1番になれないなら、
もう終わりにしたい。
いっそのこと消えてしまえばいいのかな。

こんな苦しみを感じていました。

そんなある日、
相手の理想になろうとしていた、
この相手から、
努力してない。頑張っているように思えない。
と言われました。

私はなんのために頑張っていたのか、
と思いましたが、
そもそも頑張っていなかったんだな
と、気づかされました。

結果として、理想になれなかった私は、
はじめから頑張れてなかったんですよね。

いつからか、心のどこかで思っていました。

なんで私が、あなたの理想にならなくては
いけないのか。
そういうあなたは、私の理想なの?
私は、誰なんだろう。
あなたの理想になった私は、私なの?

私は私のままで愛されたかったはずなのに、
いつの間にか、
愛されたいから、相手のために変わろうとしていました。

1番になりたい、
この思いが、
1番に愛されたい
に変化して、
愛されるために、自分ではなく相手の理想になろうとして、
自己否定をして。

自己否定のループなんて、
悲しいけど、
どうしても、こんな考え方になっていました。


1番にこだわる必要はないかもしれない


自己否定のループのなかで、
自分を愛するのは、他でもなく自分であって
誰かと比べる必要なんてないのかもしれない
と気づきました。

すると、1番へのこだわりは薄れていきました。
1番にこだわる必要はないのかもしれません。

スポーツなどの勝負事では、
1番にこだわる必要はあるでしょう。
しかし、誰かの1番になることに
こだわる必要はないといえます。

だって、自分が、自分にとっての1番であることは、間違いありません。

自分で自分を1番に愛せたら、
誰かの1番になる必要なんて、ないのです。

だからこそ、
自分の中で、自分が1番じゃないなら、
誰かの1番になるための理想や努力ではなく、
自分にとっての1番になれるような努力が大切だと思います。

そうすれば、自分にとっての1番である自分になれます。
自分のために頑張った、
という事実も、自分を愛せる理由になるでしょう。
自分にとっての1番なら、
自分のことを自分で愛せます。

誰かの1番になるための努力は、
その誰かの1番になれなかったとき、
絶望感も自己否定もとめることができません。

様々な影響を受けて、
自分も理想の姿も、変化していきます。

いつだって、自分にとっての1番になって、
自分のことを1番に愛せる自分が、
1番の理想だと、私は思います。

誰かのためではなく、
自分のために。
そう思って、生きられたら、最高です。

この先に幸せがありますように。

余談ですが、、

私が、自分の理想のために頑張ろう、
自分を大切にしようと、
自分軸になれた経緯を
ちょっと話します。

私は、今まで、
家族の理想とする私や、
恋人の理想とする私になろうと、
必死でした。

誰かの理想の姿になったら、
精一杯、愛されて、
頑張った分が返ってくると信じていました。

それでも、
相手が自分でないことは明白です。
自分の理想になってくれた、
だからって、見返りはない。

そのうえで、
理想になれた部分だけ愛されて、
理想になれなかったら、努力してないと、
理想になることが当たり前になってしまいます。

私は私なんです。
あなたの理想のために生きてるんじゃない。
私のままで愛されたかった。

こんなことを感じたとき、
自分のために生きたい。
と、強く感じました。

自分のために生きる。
言葉にすると簡単ですが、
実際にこれがどういうことなのかは
まだ曖昧なままです。

だから、
自分のために生きる。
これは、もう少し私が生きてから、
またどこかでお話しできたら、と思います。

その一歩として、
今までの私の実体験や考えを言語化しているのが、
ここ、みさきの世界です。

言語化することで、
私が感じるなんとなくもやもやしたものが、
形となっている気がします。

ただの自己満足。
そう言われてしまえば、そうでしょう。
でも、自己満足だっていいんです。
だって、自分が満足しているんですからね。


ここまで、ご覧いただき、
ありがとうございます。
1番にこだわる
その裏側には、愛されたいという願いがあり、
叶わなかったときの自己否定もあります。

私は、私のために、私の理想を追いかけたいです。
誰だって、自分のためにわがままになったっていいんですよ。

今日もありがとうございます。
みさきの世界で、少しでも共感や安心を届けられますように。

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