私が生徒を育てるため一番大切にしてきたことは、 「正解をつくらない」ことと「共有すること」
私の前職は高校体育教員である。3年間非常勤講師という形で勤めた。非常勤講師というのは「担当する授業時間だけ」「週20時間」といった限られた時間の指導を担う働き方をする人のことを指す。
1年ごとに契約を延長していく形で、企業で言うなら契約社員のような働き方である。非常勤という立場ではありながらも、部活動の指導もさせてもらい信頼をいただいていた。
しかし教員になり3年が経とうとした時、ふとこのままでいいのだろうかという迷いがでてきた。それは正規雇用を意識するようになっていたということだ。今後の自分のキャリアプランについて、しっかりと考えたいと思うようなった。
年が明け、正式に退職をすることを決めた。次に選んだ企業はこれまでとは全く異なるベンチャー企業だった。もともと挑戦してみたかった語学留学を機に、英語を活かした仕事や、途上国の支援に携われること、そしてたくさんの人と接することができるという理由から入社を決めた。
入社して2ヶ月、私は前職が教員だったということもあり、人事という役割を与えていただいた。右も左もわからない状態で、社長や仲間の手を借りながらとにかくできることから始めた。人事は会社でいう窓口である。誰よりも会社を知っておかなければならないし、誰よりも人を見なければならない。
まずはチームが良くなるためにどうすればいいかを考えるようになった。考えていく中で、教員の頃、生徒の個々の能力を伸ばすためにしていたことにフォーカスをおいて考えてみた。
生徒指導において私が大切にしてきたことは、
「正解をつくらないこと」と「共有すること」である。
”正解をつくらない”とは、
授業や部活動において、答えがある問いを極力無くし、自分で考えれるような工夫をするということだ。もちろん、丸投げするのではなく、ヒントやきっかけを与えられるような指標を与えることも大切であると考える。
自分自身、恩師にしてきてもらったことを振り返った時、教えるだけでなく、「自分で考える」機会を多く与えてもらったように感じる。自分で考えることにより、色んな選択肢がでてくる。足りない部分を自分で考えることにより、自主的に色んな練習を試すことも増えた。その中でたくさんの失敗もしてきたが、その度に振り返り、何がいけなかったかも考えられるようになった。
自分で考える力をつけないまま大きくなると、解決すべき問題が目の前にあっても「わかりません」で終わってしまう大人、ちょっと嫌なことや耐えられないことがあると壁を乗り越えようとせずに回避してしまう大人、うまくいかないことを周りの人や環境のせいにして済ます大人になっていくのではないかと思う。
答えがないことを自分で考え、行動に移すのは勇気がいることでもある。でも答えがないからこそ、自分にしかない思考を見出すこともでき、他人に共有できることもあるのではないか。
”共有”とは
生徒のちょっとした変化、例えば少し元気がなさそうなど、気になることがあればすぐ担任に連絡したり、担任を通して保護者に連絡してもらったり、担当教科の先生にも伝え、共有するということ。また、自らが生徒と共に考え、悩み、感動を共有しながら学んでいく姿勢のことであると考える。
教育現場にはいろんな生徒がいる。家庭環境が良くない生徒や、障害を抱えている生徒、情緒不安な生徒、色々な背景がある生徒…生徒の情報を先生方や保護者の方と共有し、みんなで育てていくということを大切にしていた。そうすることにより、信頼感が芽生え、徐々に生徒も心を開いてれることも多かったように感じる。
どれだけ生徒に寄り添い、少しの変化にも気づいてあげられるか。そして悩みを共有し、解決できるようにどれだけ手を差し伸べられるか。
この2つを大切にし、生徒と接してきた。
私は組織づくりについては無知である。しかし、色んなバックグラウンドをもった人たちが個々の能力をそれぞれ活かし、正解のない挑戦にどれだけ主体的に立ち向かえるかが組織づくりにおいて大切なのではないかと考える。
職は違えど、教員も人事も人の成長をサポートするというところで共通するものがあると思っている。教員で学んだ力を活かしつつ、一人一人の能力を引き出せるような取り組みを考えていきたい。