見出し画像

読書メモ|「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策|今井 むつみ

 言語は(略)つねに受け取り手によって解釈され解釈されて初めて意味あることとして伝わるのです。
 言葉を発している人と、受け取っている人とでは「知識の枠組み」も違えば「思考の枠組み」も異なるため、仮にすべての情報をもれなく伝えたとしても、頭の中を共有することはできない、という話です。たったひとつの名刺「ねこ」と聞いたときでさえ、無意識に思い浮かべるものはまったく別物である可能性がとても高いのです。
 ロフタス教授は「記憶とは大きなボウルになみなみ入った水に垂らした、1滴のミルクのようなもの」と表現しています。一度垂らしてしまえば、もう二度と水とミルクを分離することはできません。同様に頭に入った記憶の内容も、想像や偽りと事実とを分けることはできないのです。

第1章 「話せばわかる」はもしかしたら「幻想」かもしれない

 仕事のできる人というのは、「相手も自分も忘れる可能性がある」ということをわかっています。そして、それを回避する方法をあらかじめ見つけています。(略)しかし、認知科学の視点で見ると、「忘れること」はとても重要な能力だとも言えます。(略)認知科学者のスティーブン・スローマン教授は、私たちの記憶容量は「1GB」ほどしかない、とお話しされていました。(略)人間の脳は電子機器のように「残す情報」と「消す情報」を仕分けることはできません。それで、ごく自然に、不要だと判断された情報を消すということが日々、行われていることになります。
 「厳密には同じでないもの」を記憶の中から引っ張り出してきて「同じだ」と捉えることができるのは、人間が「忘れる」ことを前提に、大事なことや本質的だと思うことのみを記憶し、想起しているからです。(略)こうした柔軟さもまた人の「忘れる」という特性と密接に関わっているのです。
 たとえば、アメリカの世論を二分するような問題についても、人々はそれぞれが政策を検討し、その政策がもたらす結果を考えたうえで「賛成・反対」を示しているのではないとスローマン教授は言います。そうではなく、自分がもつ「神聖な価値観」によって決め、それを正当化するために理由を後付けで持ってきていることが多いというのです。(略)「神聖な価値観」による物事の単純化を私たちは日常生活の中で、頻繁に無自覚に行なっています。(略)考えなくてよくなるのです。(略)面倒な議論を避けることができます。自分たちとは違う価値観を対して深く考えずに気軽に全否定できるようになってしまうのです。
 「自分にとっての正しさ」が信念で、「自分にとっての正しさは相手にとって、あるいは誰にとっても正しいはず」と思うことが信念バイアスといっていいかもしれません。
 人というのは話したがりです。ほとんどの人は他人の話を聞くよりも、自分の話をしたがります。しかし、大事なのは相手の話を聞くことです。それはとても難しいことですから、それこそ「話を聞くぞ」と意識して一生懸命に聞かなければなりません。コミュニケーションのスタートは相手の話をきくことといっても過言ではないのです。
 「相手の立場に立つ」「相手の気持ちになって考える」というのはたんに思いやりを持てということではありません。相手の置かれている状況を分析し、それに応じた提案をするということ「メタ認知」と深く関係しています。

第2章 「話してもわからない」「言っても伝わらない」とき、いったいなにが起きているのか?

 上司という立場、あるいは先生と呼ばれる立場になると、周囲から「確認してください」と言われることが多くあります。しかし、それは本当にその人が確認しなければならないものなのでしょうか。もしかしたら当人が自分ですべき判断を避けているのかもしれません。上司や先生はときには厳しく「これは『確認してください』という内容のものではないよね」と伝えることも必要です。
 システム1思考による意思決定は「おおむね正しい」それは裏を返せば、ときに間違っていることがある、ということです。この間違いをシステム2思考によってチェックすること。これが「メタ認知を働かせる」ということです。(システム1,2とは、ダニエルカーネマンが「ファスト&スロー」でそう呼んでいるもの)
 情報に非常に単純に係数をかけること、すなわち重みづけができると考えたとたん、感情が一見不合理に見えて極めて合理的なものであることがわかってきます。
 「合理的に判断できるだけのデータが集まるまで、判断できない」というのは、究極の非合理と言えそうです。
 禁止など、強い要求にはどうしても感情が動きがちです。そうした場合には、理由を添えるだけで、相手の納得を得られやすくなるというのは覚えておいて損はないでしょう。
 いくつかのグループでプロジェクトを進めていると
「あのグループのせいで遅れて困る」と文句をいうひとと
「あのグループのために、できることはなんだろう」と考えるひとにわかれます。後者の、相手の立場にたてるひとというのは、プロジェクトを俯瞰することができている人で、組織には絶対必要です。「なんでできないんですか」ということほど楽なことはありません。
 しばしば起こりがちな具体・抽象のエラーは、特徴的な代表例を、その概念が表すすべて(全体)だと思い込むパターンです。
 抽象度の高い概念であればあるほど、理解するために複数の具体例が必要です。たったひとつの点からではなく、複数の、観点がそれぞれ少しずつ異なる事例を起点に抽象化を行うことが大事なのです。
 1/2と1/3は、どちらが大きいですか?この問題の小学校3年生の正答率は17.6%。4年生は22.4%、6年生でも49.7%と半数を超えませんでした。なお「6このりんごを2人でわけたら何個もらえますか?3人でわけたら何個もらえますか?どちらが多くもらえますか」と具体的な問題になると正答率はぐんと上がります。
 具体をかず多く記憶に貯蔵しておくと情報過多になり、脳への負荷が大きくなりすぎます。だから、抽象にすることで負荷を下げているのです。具体は脳への負担が大きい。
 技を盗むというのは、見るだけではありません。自分で分析し仮説をたてて検証することです。
 言葉は抽象的なものであるのになぜ、日々のコミュニケーションが成り立つのか、(略)それは私たちが、伝えきれない言葉の背後にあるもの 相手の思いをくみとり、あるいは断片的な情報から事実関係を拾い上げ。相手の話を自分の頭のなかに再構築しながら話を聞いているからです。
 忖度が問題になるのは目的がすり替わっているからです。(略)仕事の成功ではなく、人の気持ちへの配慮のほうを優先してしまったということです。そこに問題があるのです。

第3章 「言えば伝わる」「言われれば理解できる」を実現するには

 分析力がないひとはただ失敗して凹むだけで、失敗を重ねることになってしまいます。失敗は分析力とセットでなければ意味がありません。「失敗・分析・修正」をセットでできるひとだけが「失敗は貴重な機会だ」ということができるのです。
 暗黙の了解はそもそも言語化されていません。言語化されていないことは、その世界に入ったばかりの人にとっては学ぶことが非常に難しい。このようなことは日本企業で頻繁に起こっているはずです。
 「相手を思い通りに動かそう」と考えている限りは、コミュニケーションはなりたちません。
 相手がどう成長したいと思っているのか、何を大切にしているのかを考えるだけで、同じ話をするのでも、同じ業務を割り振るにしても、受けとる相手の熱意ががらりと変わります。
 自分に都合の悪い話を聞く際に「いやだな」と思ってしまうのは仕方ないことかもしれません(略)無意識の表情の変化すら相手に影響を与えてしまうのですから、「嫌な報告を受けたときこそ、相手を褒める、感謝する」くらいの心づもりが必要です。
 システム1でも2でもない「直観」は天から降ってくるものではなく、そこへ向かってたゆまず歩き続けるなかでやっと手に入れられるものだということです。どんな分野でも費やす時間は相当に長いものだと思います。
 大局観は、専門の勉強だけをしていても、知識のつまみ食いをしていても、俯瞰で眺めていても得ることはできません。広げながら収束させる、ある種の「具体」と「抽象」を行き来するような意識が大事だと思います。(略)生成AIが答えを出すプロセスは人間と全く異なるため、それにいくら接しても大局観や生きた知識、直感の習得にはつながらないからです。

第4章 「伝わらない」「分かり合えない」を超えるコミュニケーションの取り方

 思い込みにとらわれたそのような生き方は実は楽な生き方でもあります。相手の意図を考える必要も、情報を精査することも、知識や教養を得ることも、自分を外から見つめ直すこともないからです。自己を批判することで痛みを感じることもありません。自分が思ったことが正しいし、情報は自分が思ったように解釈すればいいからです。自分の認知バイアスに埋没し、心地よいところだけで生きるのは、とてもラクな生き方でもあるのです。

おわりに

 コミュニケーションは難しい。きっとそのせいで、今井むつみ先生のご著書はいつもベストセラーなんだろうな。
 それでも、同僚など、日ごろ接していてどんなひとかわかっている場合は比較的なんとかなるのですが、見ず知らずのひとはほんとうに難しいです。
 たとえば、オンラインストア。「ポスト投函」で「お届け日時指定」をしないでいただくには「お届け日時指定」をしたら配送方法でポスト投函が選べないように」するのが唯一の解決方法だったりします。どんなに言葉を尽くしても読まない(読めない)ひとがいるので。
 (わかってほしい)(誤解しないで)(そうじゃない)試行錯誤しながら、うっすら(こういうことでは?)と立てていた仮説を、今井先生のような専門家が「そうだよ」って言ってくれているところが、ものすごくものすごくありがたい本なのです。
 

いいなと思ったら応援しよう!