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怒りについて



怒りについて考えたことがあるでしょうか?

僕は怒りは一番いらない感情だと思ってます

よく、

怒ることは大切だ、

怒ることで得るものがある、

怒らないとわからないんだ

と言われますが、それ、本当でしょうか?

僕の経験上、怒ることで問題が、根本的に解決したことは一度もありません

もちろん、対症療法として一時的に治まることはあるでしょう

でも、根本的解決はいままで経験がありません

怒りとは、

怒った本人も苦しいし、

怒られた相手も苦しい、

そして、それをみてる周りの人も嫌な気分にさせる、

誰も幸せにならない

ただ不幸になるだけのものだと思ってます

百歩譲って、怒ることですっきりするのであれば

その怒りは必要といえるかもしれません

でも、怒ってスッキリしたことありますか?

さらに腹が立ったり、

もやもやがいつまでも残ってたり、

幸せな気分には全くなってないと思います

そして、子育てを経験してる方は、こんな経験をしてないでしょうか

子供が片付けない時に、何度言っても片付けない

そのうち怒るわけなんですが、怒ることで、

慌てて子供達は片付け始めたりします

でも、次の日、また同じことしてませんか?

これこそが、対症療法として機能するけど、

根本的に解決してない一番わかりやすい例ですね

怒ることはなんら有効な手段ではないということですね

僕は、昔、怒ることは必要悪だと思ってました

若い頃、精密機械の工場で働いていた時の話ですが、

主任だった僕は、職場では恐怖政治を敷き、

自分が嫌われ者になってもみんながちゃんとやるようになるなら

それでもいいかぐらい思ってたわけですね

ある日、僕が

夏休みを取る時に、同じ主任の人に、休みの間、僕の部署も

チラッとでいいから見ておいてくれない?とお願いしたことがありました

休み明け、その人に、こんなことを言われました

お前の部下大丈夫か?

喋ってるし、手を動かさないし、整理整頓全然できてないし、やばくね?

僕はそれを聞いて、あれ?って思いました

僕が管理してるときはちゃんとやってるわけなんです

つまり、その部下たちは、僕が注意したことを理解して自分たちで動いてた

わけではなく、僕に叱られたくなくてやってたということがわかったんです

経験ないでしょうか、

あ!!ミラトレさんがそろそろ来る時間だぞ

やばっ、はやく片付けないと!

これもこれもやっておかないと叱られるよ!!

やべえやべえ

的なやつをやられてたということですね(⌒-⌒; )

全て悟った僕は、それから怒ることをやめました

僕に怒られないようにやるというのであれば、

それは目的が変わってしまってるので、

僕のやり方は失敗してるということですからね

やる意味がないと思ったわけです

仕事なんて特にそうですが、部下が自発的に必要なことを考えて

動ける環境になるのがいいのであって、

そうなってない時点で僕の教育方針は

完全に失敗していたと言えるわけですね


これは、子育てでも同じで、

怒られるのが嫌だからやる、

では問題は解決しないんですね

子供に、毎日同じことで怒ってたりしませんか?

片付けるのであれば、なぜ片付ける事が必要なのかを理解してもらって、

自分からやるようにならないとだめなんですね

子供が小さくて説明しても理解が追いつかないようなら、

子供が片付けたくなるような、楽しいやり方を考えてやらせるなど、

どうやったら自発的に片付けるようになるかを考えるべきですね

さて、

怒ることが必要ないことはわかった、

じゃあどうすればいいんだ?という話にうつります

もちろん、ケースバイケースなので、一概にいえませんが、

まず、腹が立つというのはどういうことかしっかり考えたことありますか?

腹が立って怒ることと、

頭は冷静だけど、怒りを、使って叱りつけるという行動、

これは別物だと主張する人がいますね

結論からいうと、これらは、同じことです

怒りという武器を使って、

相手を自分の思い通りにさせようとする行為なので、

全く同じことです

違うように感じるのはただの思い込みですね

自分にとって都合よく解釈してるだけで、

それを受ける側からしたら、なにも変わりません

そして、腹が立つというのは、自分の思い通りにならないことへの不満です

これ一択であり、例外はありません

認めたくないと思う人もいると思いますが、

残念ながらそれ一択です

言い換えるなら、自分のわがままですね

このことに対して、いいとか悪いという話をしてません

まず、この事実を自覚しましょうというお話です

これを自覚しないと、スタートラインに立てません

それを自覚したら、

怒ることが、なんて恥ずかしいことなんだということに気がつきます

こんな恥ずかしくてみっともないことをどうやって正当化しますか?

うちの娘は3歳と6歳で、思い通りにならないと怒り散らしたりします

それと同じことを大人になってやってるわけです

大人がおしゃぶりを吸ってるのと

あまり変わらないくらい恥ずかしいことだと思ってます

そして、叱るを、区別する際も考えてみましょう

怒りを使って、

権力を使って

相手を従わせるという行動は、

自分が無能であるということを晒してるようなものですね

怒りを使うと、表面的ですが、ソッコーで効果があるようにみえます

つまり、一番楽な方法なのですね

一番楽な方法であるからこそ、

効果が薄いし、

長続きしない

本来は、時間をかけて、

話をして相手に理解させて相手が

自発的に動くように納得してもらうことが必要なのですが、

それをするには膨大な手間と時間がかかります

その割に、効果もそれほど目に見えてわかるようなものでもありません

それでもそれをやり続けるべきなんですが、

大変だからやりたくないんですね

つまり、本質を見てる人からすれば、

楽なことをやって、

やった気になってる勘違い屋さんと言うふうにみえるわけです

これもやはり、恥ずかしいことですね

これをしっかり自覚すれば、

怒りという手段を使おうという選択肢が消えます

この発想が重要になります

では、例えば、

職場の人に自分の嫌なことを言われた、

その場合はどうするのでしょうか

その人の投げてきた嫌な言葉を自分が

受け取ることで、始めて自分の感情が動きますね

つまり、それを受け取らなければ

その人は一人で嫌なことを言ってるだけという構図になります

言ってる人は、相手が反応するから、

効果があると思うからやるわけですからね

受け取らなければいいのです

グーグル翻訳の言語一覧の中に、

アイマラ語というのがありました

アイマラ語がわかる人いるでしょうか?

僕はわかりません

仮に、アイマラ語でひどく罵ってきた人がいたとします

僕はそれを聞いて腹をたてるでしょうか

何を言ってるのかわからないので、

恐らく感情としては、『無』に近いんじゃないかと思います

雰囲気的に、何か悪口を言ってそうだなとか、なんか怒ってるかな?

ぐらいは察しがつくと思うのですが、

恐らく全くと言っていいほど腹は立たないと思います。

それは、受け取りたくても、意味がわからないから、

受取りようがないわけなんです

でも、受け取れるか受け取れないかに限らず、

受け取らなければ、腹が立たないということのイメージはつくかと思います

でも、喧嘩になるのはアイマラ人じゃない、

日本人じゃないか!と

反論される方もおられるでしょう

その場合も、結局、いつも僕が言っている、

知ってるか知らないかが全てというのが適用されますね

怒りに対して怒りで返した場合、何が起こるのかを知っていれば、

できるだけそれを回避しようと考えます

怒りに対して怒りで返す人は、物を知らない人ということですね

それをすることで結果、何が起こるかがちゃんとわかってないから

できるということです

ヤクザに対して怒鳴られても怒鳴り返しませんよね

チャカでバーンってやられちゃうかもしれないし、

東京湾に沈められちゃうかもしれません

でもヤクザを知らない人は、もしかしたら怒鳴り返すかもしれませんね

程度の差こそあれ、つまり、そういうことなんですね

それがわかれば、

相手が怒りを投げてきたときは

受け取らないという選択肢を持つことができます

あとは、練習です

え?練習??

もちろんです

何もせずにそんなのができるようになるわけないですね

怒りを投げてきた相手の言葉を受け取らないという練習を

ひたすら繰り返すことで、できるようになるわけです

これは、技術ですから、やれば誰でもできるようになります

逆に、やらなければ永遠にできるようになりません

何事もできるようになるためには練習しかないのですね

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