最悪な月曜日を振り返る
また、やってしまった。
授業に行く行かないで、息子と衝突。
からの、自分の対応を振り返って、自己嫌悪で泣きたくなる。
ここまでがいつもお決まりのセット。
月曜日の朝だというのに今日もやらかしてしまい、なんとも言えない気分で1週間がスタート。
ようやく気持ちが落ち着いてきたから、今朝のことを残しておこうと思います。
我ながら後味が悪くて、自己嫌悪でいっぱいの1日。
だけど、こんな経験でさえも、何か次に生かせるものがあると思うから。
後から見返して、「こんな日もあったなー」って笑える日が来たらいいな、という期待も込めて。
相変わらず、ジタバタな毎日
不登校生活1年が過ぎても、相変わらずジタバタしているわたし。
小3相手に本気でキレて理詰めするなんて、一度や二度ではない。
こんなに感情の起伏が激しいなんて、我ながら引く。
息子のことを考えるがゆえ、なんていうと聞こえはいいけど、その半分くらいは、いや、半分以上かな?自分の思いや都合優先だっていう自覚もある。
今、どう対応するのが正解なのか、分かっていてもできないときがある。
母親だって人間だから、これからどうなっていくのか分からなくてどうしようもなく不安になって、自分を守りたくなることもある。
早々に出来上がってしまった期待
不登校で、付き添い+超・五月雨登校中の息子。
まだ限られた科目しか行けないから、頻度で言うと五月雨にも満たない「にわか雨」程度のほうが正しいだろうか。
その中でも今年度はかなり継続して参加できている科目があって、今日はその科目が2学期最後の予定になっていた。
先週の金曜日、今週の予定を見て息子とは「この科目は2学期最後だし、行こうね」と確認していた。
※ちなみに私の心の中では、行こうねどころか、行けるよね?ていうか行くよね?の気持ち。
息子はあまり気乗りしない風だったけど、まあ行くか…っていう反応だったから、私の中では早々に「よし!月曜日は1科目行けそう」という期待が出来上がってしまった。
そして週末。
金曜日にほんのり伝わってきた息子の「月曜日はまあ行くか…」の気持ちをどう扱うか、これ次第で月曜日のスタートが変わるから、重要なポイント。
選択肢は2つ。
いつもなら①の対応をとってきたわたし。
だけど、最近は行ける授業にいろいろ言い訳をつけて渋るようになってきていて、週末にわたしがうるさく言いすぎなのかな、とも感じていた。
そこで今回は思い切って②の対応をとることにした。
いざ、月曜日
週末、何度も「月曜日は…」と言いたくなる気持ちをグッとこらえ、いよいよ今朝。
朝のトライブスルー登校(親しいクラスメイト数人に出会って連絡帳を預けてくる)にも仲のいい子たちが来てくれて、その子たちがワチャワチャじゃれるのを見て楽しい気分で帰宅。
いい流れの中で「今日の●時間目は●●の授業だから、●時頃には準備しよう」と伝えたところ…
まさかの「えー…」という反応!!
えー… って何?
どうやら、週末のうちに予定を忘れてしまって、今週行ける授業があることは何となく覚えていたものの、それが今日だと思ってなかった様子。。
…え、まじか!
ここでちょっと私の気持ちが焦りだす。
金曜日は行く気っぽかったやん。
時間割表、ずっと机に出てたやん。見てなかったのか?
ヤイヤイ言いたくなっている気持ちをグッとこらえて、とりあえず準備物だけ出しておき、出発時間まではいつも通りの朝の時間を過ごすことにした。
すると。
いつもやってることがうまくいかない!が重なって、イライラしはじめた様子の息子。
だんだんイライラが募ってきた様子を見ていると、わたしの気持ちも焦りはじめる。
まずい。
このままだと、授業に行く時間になってもイライラが残っていて、流れで『行かない』って言いだしそう。
早く気持ちを立て直させなくちゃ。
そんな焦りから、息子のイライラに真正面から向かっていって、口出ししてしまった。
…これが、だめだった。
フォローのつもりで口出しすればするほど、息子のイライラは増幅される。
それを見てわたしはさらに焦り、口うるさくなる。
この負のスパイラルに入ってから息子の気持ちが固まるまでに、時間はかからなかった。
「今日、行かない。」
それを聞いて、わたしの中でこらえていたものがプチンと切れた。
あふれてしまった「ちくちく言葉」
行かないって何よ!行くって言ってたのに!
今日は2学期最後の●●の授業なのに!
イラついたからってその流れで簡単に行かないって言わないで!
先生もお友達も、精いっぱい理解しようとして寄り添って、工夫してくれてるのに!待ってくれてるのに!
そんな気持ちがあふれ出してしまって、息子にガンガン理詰めで怒ってしまう。
怒り始めてすぐ、「これ以上言ったらだめだ、止めないと。」ってわかっているのに、止められない。
今日の私の対応が(何なら週末からの対応の選択が)間違ってたから、息子が授業に行こうという気持ちをうまく作れなかった。
そんな自己嫌悪。
それから、「そもそも、気持ちが作れないから授業に行かないって何よ」という、納得できない気持ち。
みんなは学校に行って、1日の授業をこなして帰ってくるのに。
うちは、ほんのいくつかの行けそうな授業ですら、気持ちが作れない、授業内容に興味が持てない、と、簡単に行かない選択ができてしまう。
そんなのおかしい。
そんな気持ちがぬぐい切れずに、息子にどんどん「ちくちく言葉」を投げてしまう。
これ以上顔を見ていたらだめだ、と思ってとっさに家から出たものの、「勢いで車に乗ってちょっと出てくる」、ということが、夫のいない平日昼間はできない。
イライラと自己嫌悪が渦巻いてぐちゃぐちゃの頭でも、かろうじて「分離不安の子を1人残して出かけるということは絶対にしたらだめだ」、という理性が働いて、とりあえず庭先のウッドデッキに避難した。
黒くてドロドロした気持ちでいっぱいの私の心とは裏腹に、よく晴れて真っ青な空をぼーっと眺めながら、20分ほど過ごしただろうか。
その間も、息子が家の中から様子を確認している気配がする。
こんな時でも、息子は1人にされるのではないかという不安を常に抱えている。
分かっているけど、今は気配だけでも後追いされることがしんどくて、家の中からは角度的に見えない場所に移動した。
一人になりたい。
とにかく、落ち着くまで一人にしてほしい。
だけど、姿が見えなくなって不安MAXになった息子は、ついに家の中から出てきて、「ママぁ~…」と泣きそうな声で私を探し始めた。
その声に観念して家の中に戻ったものの、すぐに気持ちを整理できない。
大人げないけど、いったん家を飛び出したくなったほどの衝動にかられた気持ちは、簡単におさめられなかった。
仲間からの「ふわふわ言葉」に救われる
不登校対応は、なかなかリアルの世界で横のつながりが作りづらく、孤独な戦いになりがち。
わたしも例外ではなく、思いのたけを吐き出せる身近な存在は、夫以外にはほとんどいない。
(その夫とも、やはり父親と母親という立場の違いや、普段働きに出ているのと家でべったり一緒にいる違いなどから、目線や見ている方向に微妙なずれがある。)
ぐちゃぐちゃした気持ちを吐き出したくて、最近参加させてもらったオープンチャットの仲間のみなさんに助けを求めた。
チャットでひとしきり気持ちを吐き出したら、ようやく落ち着いた。
「うんうん、わかるよ」
「そういうこと、うちもあるよ」
そんな風に受け止めててもらえるだけで救われて、少し冷静になれる。
「そうだよね」って共感してもらう言葉が、私にとっては何よりの「ふわふわ言葉」で慰めになった。
晴れパンさん、仲間のみなさん、ほんとにありがとうございます。
今回の経験から学んだこと
感情のジェットコースターで月曜日からぐったりだけど、そんな中でも学んだこと(というか、改めて自覚したこと)を書き留めておこうと思う。
不登校対応は長距離走のようなものだから、肩に力が入って期待値が上がりすぎると続かない。
でも、少しでも進展が見えたら嬉しくなって、気づくと力が入っている。
細く長く頑張れるように、自分の期待値と力の入れよう、それから気の持ちようをうまくコントロールできるようにならなくちゃな。
さんざんな1週間の始まりだったけど、嵐のような1日がようやく終わりに近づいてきた。
お恥ずかしいことに、今もまだ息子には若干よそよそしい態度をとってしまっている。
今日は早くお風呂に入って寝よう。
寝て気持ちを切り替えたら、明日はまた新しい気持ちでスタートを切れるかな。