罪悪感にさようなら
noteをお休みしておりましたので、かなり久しぶりの投稿です。
実は、ちょうど一年前から調子の悪かった片腕を本格的に痛めてしまい…(;^ω^)
今年に入ってからというもの、寝返りで目が覚めるような鈍痛を自覚していたので、定期的にケアし、今年の春頃にはマシになってきたなぁ、と感じていたんです。が…調子に乗って無理をした事で、これまで以上に悪化するという…( ̄▽ ̄;)ヤラカシタ
腕だけでなく指を動かすにも痛みが生じ、やむを得ずタイピングなど、PC作業を控える生活をしておりました(;^ω^)
やっと痛みが取れてきたので、スローペースになるかと思いますが、投稿したいと思います。
先日、40代女性が、経歴などを聞かれるたびに『夫無し子無し』という目を向けられるのが辛い、と話していた。
彼女は、結婚したいのにできなかったのではなく、ただ『やりたいこと』を選んで生きていただけ。
だから、普段から『結婚したいのにできなかった』とふさぎ込んでいるわけではない。
それなのに、『ご結婚は?』『お子さんは?』と聞かれ、『いいえ』と答えるたび、なんとなく否定されているように感じて憂鬱になる自分にイライラするというのだ。
なぜなら彼女は、
『独身で出産歴がない女性を否定する考えがおかしい!』
『そんな時代じゃないだろう!』と思っている。
だから否定的な目を向ける人に対して、
『あなたに理解されなくてもいい!』という強い反発と自尊心もある。
それなのに憂鬱な感覚がなかなか消えないどころか、年々増してくる自分の心の状態に、納得がいかなかった。
だが、心を深堀りすることによって、憂鬱さの奥に隠れていた重たい石のようなものに気付いた。
それは、罪悪感と劣等感だった。
彼女はひとりっ子だ。その上、代々続く家業を継がず、好きな仕事をして生きている。
そんな自分は、結婚して母親になっている女性と比べると、『楽している』『わがままに生きている』『親不幸者』という気持ちがあったのだ。
彼女に『自由に生きなさい』と、いつも応援し、仕送りまでしてくれる両親には、『いつもごめんね』という気持ちが湧いた。
また、女友達から『あなたは自由に生きてていいよね。私なんて子供がいるから…』と言われ、非難されているように感じた。
その上、世間の『子育てによって成長できる』という類の言葉にも、劣等感を感じていた。
『自由に生きて幸せなのに、罪悪感や劣等感を年々感じて憂鬱なんです。』
こんな風に彼女の気持ちを言葉にすると、状況と心の状態が矛盾し過ぎて、かなり不自然な感じがするが、意外と彼女のように感じる人は多いのだ。
はたしてこのような罪悪感を、感謝の想いよりも強く味わう必要があるだろうか?
また、感謝の想いよりも罪悪感の方が大きくなってしまうのはなぜだろうか?
(ここで掘り下げるのは割愛するが)
彼女は、こんな罪悪感からは解放されたいと言った。
その心の表れた行動として、両親にあらためて日頃の感謝をストレートに伝えることにしたのだ。
かなり照れくさくて、勇気が必要だったらしいのだが。
『いつも味方になってくれてありがとう。応援してくれてありがとう。おかげで本当に幸せな人生です。』
彼女のこんなメールに両親から返事がきた。
『あなたような娘がいてくれて、こちらこそ幸せな人生ですよ。』
両親の言葉を受け取った彼女は、今までに感じたことのないようなありがたさで、涙が止まらなかったと言っていた。
不要な罪悪感に浸るよりも、感謝することを選んだ彼女の人生は、もっと自由で豊かなものになることは間違いない。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。