仕事などの場面で、自己演出を自覚している場合はさておき、本音を隠した会話をすることって誰でも多少は経験があると思います。 ただ、家族、友人、恋人など、大事にしたい関係の人達とのコミュニケーションにまで習慣的に本音を隠す人の場合、すごくイライラしたり、気持ちがふさぎ込んで苦しくなってきます。 今回は、本音を隠して会話することが習慣化している人に気付いて欲しいことについて書いてみます。 本当は大丈夫じゃないのに『全然大丈夫だよ』 本当は言いたいことがあるのに『別に何もないよ
お箸を手に取りながら、その流れで両手を合わせ、『いただきま~す』と小声で言いつつ目線の先はテレビ…の娘。 彼女にとって『いただきます』は、食べる前のただのルーティンに見える。 だが、食べ終わった後、SNSの知らない人からの、ちょっと気持ち悪い内容のDMに気付いた時には、 『なんなのコレ!!( `ー´)』 『ねえ、聞いてよママ~!』と、その不満を、とても表情豊かに大きな声で教えてくれた。 あ、これは我が子に『いただきます』をちゃんと言えるように躾けましょう!という話ではあ
noteをお休みしておりましたので、かなり久しぶりの投稿です。 実は、ちょうど一年前から調子の悪かった片腕を本格的に痛めてしまい…(;^ω^) 今年に入ってからというもの、寝返りで目が覚めるような鈍痛を自覚していたので、定期的にケアし、今年の春頃にはマシになってきたなぁ、と感じていたんです。が…調子に乗って無理をした事で、これまで以上に悪化するという…( ̄▽ ̄;)ヤラカシタ 腕だけでなく指を動かすにも痛みが生じ、やむを得ずタイピングなど、PC作業を控える生活をしておりました(
今や多くの人が理解しているはずだ。本来、人に『優劣はない』ということを。それなのに、相反する問題は起こり続けている。 パワハラ、モラハラ、DV、虐待、あらゆる差別…。 『優劣はない』という理想はあれど、現実的には平和で調和のとれた社会と言うには程遠く、権威などによる『支配』で社会を構築する意識がまだまだ世にはびこっている。だから理にかなわないことが起こるのだ。 そんなニュースに嫌気がさしつつ、 『統率する側の人間や、問題を起こす側の人間が変わらないとどうにもならない話で、
ある女性が、いつも人からの誘いや頼まれ事を『いいよ』と言って引き受けていた。ただ、内心ではそんな状況の9割について『嫌だなぁ』と思っていた。それなのに、軽く笑顔まで浮かべながら『いいよ』と言ってしまう。好きでもない人の誘いでさえも。 そんな彼女は、人を誘うのも苦手。仲良くなりたくて一緒に食事に行きたいと思う相手にも、一度も言えたことがない。当然、頼み事も苦手なのだが、さすがに仕事では必要な事もある。 やむを得ず仕事を頼んだ時、その相手が『いいですよ』と笑顔で言ってくれても
『これって私に承認欲求が強いからダメってことなんですよね~…』 『あの人、承認欲求強すぎなんです!!』 アドラー心理学の影響からなのだろう。ここ数年、自分や他者の承認欲求に着目して、そこを否定する意見を頻繁に耳にするようになった。 確かに承認欲求ベースで行動を続けると、必ずと言っていいほど、ストレスを感じるようになる。アドラーが説いているように、最終的に『自分の人生を生きられなくなる』からだ。 それに、強い承認欲求は、恋人などの、特定の相手に向く状況では、強い依存心と
中学生の時、お弁当を隠して食べる男子を見ると、たちまち心がモゾモゾしていた。 そんな私は、毎日自分で作ったお弁当を食べていた。周りの女子の可愛らしいお弁当とは違い、私のは可愛らしさのない、白いご飯多め。いつも時間に追われて作っている上に、レパートリーも少ない地味なお弁当だ。 そんなお弁当を私も隠したかった。でも、女子でお弁当を隠しながら食べている子はいない。少なくとも、私の周りでは。 『きょうこのお弁当って卵焼きが多いね~。』 『おかずよりご飯が好きなんだね!』 友達
先日、電車の中で、小さい男の子連れの女性が、何やら誤解してその子を叱ってしまったのか、すっかり拗ねた表情の男の子に何度も謝っていた。 すると、その親子の隣に座っていた年配の女性が、こんな風に声をかけた。 『あなた、子供に謝っちゃだめよ』 『子供にそんな事でいちいち謝ってたら、そのうち親の言うこと聞かなくなるわよ。』 この年配の女性のように、たとえ自分が間違ったとしても、相手との関係性によっては、謝るべきではない、と考えている人がいる。 これは、謝罪 =『負け』を認める
普段、それなりに人から評価を受けることがある人で、自信がありそうな雰囲気の人でも、『頑張っている割に漠然と自信が持てない』という悩みを抱えている人が意外と多い。 こんな人が、いつも何に強い関心が向いているかというと、自分が望む理想的な成功を手にするための情報を得ることだ。そしてそこに早く到達するために自分を奮い立たせている。 そうすることで、自信が得られ、自分を『心から肯定することができる』と信じているからだろう。 特に今のような世の中では、自分にないものを持っていると
『昨日、あのお店に居たよね!』 『え、行ってないよ?』 『居たの見たよ?!』 『でも私じゃないよ?』 もう20年くらい前の話だが、私を見かけたと言う知人女性と私の会話だ。 私はその店に本当に行っていないのだが、彼女は私だったと思い込んでいて、『なんでそんなつまらない嘘つくんだろう?』と言わんばかりの表情を浮かべていた。別に証明する必要もないから、私はそれ以上否定しなかったのだが。 私にとって、彼女は『勘違いしている人』だが、彼女にとっての私は、『つまらない嘘をついた
先日、高校を卒業したばかりの娘とこんな会話をした。 『とうとう高校3年間彼氏できなかったわ!私ヤバイ?!』 『なんでヤバイの?』 『だって、私の周り、みんな付き合ってるもん。』 『でも、告白されても全部断ってたよねぇ。』 『うん…この人と付き合いたい!って思う人はいなかったんだもん。私、付き合ったら長~~く付き合っていける人がいいのよね~。』 『 ってことは、そういう人とまだ出会ってないってだけでしょ?』 『まぁ、そうなのよ。』 『それって高校3年間で出会わないとヤバイの?
過去に子供を傷つけてしまった親が、大人になったわが子から責められた時、それに対して逆ギレすることがある。例えば、 『私は子供の頃、お母さんにあんな扱いされて、本当に辛かった!』 こう告げられた母親が 『私だって、あの時は色々あってアンタを育てるのに大変だったのよ! 今更そんな風に責めるなんて、アンタは本当に酷い子だね!』 という状況。 本来、こんな風にわが子に追い打ちかけて責めることを望んでいる親はいないだろう。それでもそうなるのは、親がその当時の自分と向き合えずにいる
関西に住む友人の奈美(仮名)には、18才の愛ちゃん(仮名)という女の子がいる。奈美と愛ちゃんがこれまで乗り越えてきた多くのエピソードに私は心が強く揺さぶられ、二人から多くを教わった。ここに、そのことについて書いてみたい。 感謝を込めて。 まさか自分の子にこんなことが… 愛ちゃんは6年生で脳腫瘍が見つかった。娘が小児がんであることを突き付けられた奈美は『まさか自分の子にこんなことが起こるなんて…』と、当然ながら、事態を受け入れることなどできなかった。 とは言え、
ちょっとセンセーショナルなタイトルにしてしまったのだが、もちろん『いい子』そのものを否定しているわけではない。 本人が自然に振る舞っている上で、『いい子だね』と思われる子に呪縛なんてない。 ここでいう『いい子』とは、親の望む生き方を選んで、自分のことをないがしろにしてしまっている人の事だ。 『いい子でいないと…』『期待に応えなきゃ…』 こんな風に、親が求める『いい子』でいることをノルマにして生きると、極度の生きづらさを感じる時がきてしまう。それが『いい子』の呪縛による
『あなたとの会話が途絶えちゃうと寂しいな。また連絡頂戴。』 これまでこの類の言葉をず~っと言えなかった女性が、ようやく伝えることができたと報告してくれた。ちなみに、とても魅力的な40代の女性。 そんなことがなんで言えないの?と不思議な人もいるだろう。でも彼女にとってはどうしても言えない言葉だった。 これまで彼女が言えない理由として挙げていたのは *付き合っていない人にそんな事を言える立場にない *付き合った男性ですら私の気持ちを気にかけて連絡してくれたことがない
いつも自信がない人や、自分に厳しい責め癖のある人は、愛情の受け取り方が上手ではない。 人からの親切や手助けに対して『ごめんね』『申し訳ない』という意識の方が強くなりがちで、愛情を受けたということを味わうよりも、相手に負担や迷惑をかけたと感じてしまう。 これは無自覚だったとしても、自分は愛されるはずがないと思い込んでいる場合や、愛について『与える側より受ける側の方が弱者である』とか、『劣っている』という固定観念を持っていたりする。 そうなると、愛情を受けることに申し訳なさ