『承認欲求がダメ』ということよりも。
『これって私に承認欲求が強いからダメってことなんですよね~…』
『あの人、承認欲求強すぎなんです!!』
アドラー心理学の影響からなのだろう。ここ数年、自分や他者の承認欲求に着目して、そこを否定する意見を頻繁に耳にするようになった。
確かに承認欲求ベースで行動を続けると、必ずと言っていいほど、ストレスを感じるようになる。アドラーが説いているように、最終的に『自分の人生を生きられなくなる』からだ。
それに、強い承認欲求は、恋人などの、特定の相手に向く状況では、強い依存心として現れる。そうなると、相手にも『重たい』とか、『鬱陶しい』と感じさせてしまう。
だから、承認欲求を完全に手放す方向で、心軽やかに過ごせるようになれば、人間関係もスムーズになり、当然生きやすくなる。
ただ、承認欲求が強めの人は、『承認欲求はない方がいい』と理解しても、なかなか心は追い付いてくれない。そこで承認欲求をコントロールできない自分に問題がある、として責めてしまう人もいるのだが、責めてしまうとより一層、悪循環になってしまう。
ここでは、承認欲求が強いことがダメではなく、強くなってしまう理由について、少しだけ掘り下げてみたい。
強い承認欲求を抱えた人の心は、『存在価値』に対して常に不安がある。その不安から解消されるために、他者から沢山の承認を得ることで、自分の存在価値に自信が持つ必要があると思っている。
でも、『存在価値』に不安を持っている人が、他者からの承認だけを沢山得られさえすればそれが解消されるのか、というと実際はそうはならない。
なぜなら、存在価値に不安がある人の心を例えると、『底が欠けてしまったグラス』のような状態なのだ。つまり、自己価値を否定してしまうような出来事があり、それによってグラスが欠けてしまっている。
心がグラスなら、他者からの承認は注がれる水なのだが、もうお察しの通り、いくら注がれても欠けている部分から漏れ続けてしまう。
大きめの穴が開いている人や、ちょっとヒビの入った人など、傷の程度に差はあれど、気付かぬうちに水漏れ状態になっている心では、いくら他者からの承認を得ても、自分の存在価値に自信が得られないのは、当然のことなのだ。
そんな状態で湧いている強い承認欲求をダメなものだと否定するのではなく、自分の存在価値を感じたい心のSOSだったと捉えてみて欲しい。
さて、ここで向き合ってみて欲しい問いがある。
あなたが今、心から肯定したい人を『一人だけ』選ぶとしたら誰だろう?
多くの人が『自分自身』と答えるのではないだろうか。
あなたが自分の事を心から肯定したいと感じていること自体、あなたに存在価値がある証だ。
なぜなら、あなたが一番肯定したい存在があなた自身であるということは、あなたが『愛したい相手』ということでもあるのだから。
あなたの人生で、あなたが愛したい相手の存在価値がないわけがない。
だからこそ、あなたは、他者からの承認を得ることよりも、自分を肯定していけるように、『自分が自分の事を嫌いにならない生き方』さえ選んでいけばいい。
そうすれば、心のグラスにできた傷は、自然と塞がっていくことだろう。