コミュニケーションの仕方で『自分自身をどう扱っているか』がわかる。
ある女性が、いつも人からの誘いや頼まれ事を『いいよ』と言って引き受けていた。ただ、内心ではそんな状況の9割について『嫌だなぁ』と思っていた。それなのに、軽く笑顔まで浮かべながら『いいよ』と言ってしまう。好きでもない人の誘いでさえも。
そんな彼女は、人を誘うのも苦手。仲良くなりたくて一緒に食事に行きたいと思う相手にも、一度も言えたことがない。当然、頼み事も苦手なのだが、さすがに仕事では必要な事もある。
やむを得ず仕事を頼んだ時、その相手が『いいですよ』と笑顔で言ってくれても、
『本当は嫌なんじゃ…』『押し付けられたと思っているかも…』
という気持ちが湧いてきて、気持ちが落ち着かない。
心療内科に行ってみても、安定剤を出されるだけで、状況は変わらなかった。
人が自分をどう思っているか、の不安をなんとかしたくて、何年もの間、『相手の気持ち』を聞くために占いに通い続け、借金もした。
人と円滑にコミュニケーションするために、色々と無理までして頑張っているはずなのに、一向に幸せになれない自分のことが嫌になっていた。
彼女の悩みの根本は、いつも自分の気持ちを無視して、他者の気持ちを優先した行動ばかりしていることや、本音でのコミュニケーションができないことにある。
だから、コミュニケーションでの言葉の使い方がいつも裏腹なのだ。その結果、自分と同じように、周囲の人も裏腹なのではないかと気になってしまう。
自分の気持ちを無視した『いいよ』は、一見すると、他者を重視する思いやりの行動のようだが、そうではない。
彼女の場合、人の依頼を断ることによって『嫌われる』『性格が悪いと思われる』『誘われなくなる』というようなリスクから、自分を守るためだ。
ただ、あくまでも、守れていたのは体裁の部分だけ。
自分の本当の気持ちをずっとないがしろにしているのだから、心が守られているわけではない。
その上、好きでもない相手にまで合わせて、楽しくもない時間を無理に過ごしているにも関わらず、自分が一緒に食事したい人との時間を作ることのためには全く動こうとしない。これは、自分の望みのための行動はしていないということだ。
これでは、自分自身をかなりいい加減に扱っていることになる。
こんな風に自分自身をいい加減に扱った上で成り立つ安心を得ても、幸せは感じられない。
いつも我慢して他者のニーズに応えているのだから、ストレスは溜まる一方。それに、素直な自分の気持ちを表現できないことで、自分の本音を受け入れられる経験もできない。
だから、自分自身をいい加減に扱ったコミュニケーションの仕方では、いつまで経っても人との信頼関係は得られない。当然、人間関係での不安は消えず、延々と人の気持ちや体裁ばかりを気にして生きることになってしまう。
逆に、自分自身を大切に扱っていれば、こんなコミュニケーションの仕方にはならない。
もし、あなたが人間関係でずっとモヤモヤしていることがあるなら、そのシチュエーションで『自分自身をどんな風に扱っているか』ということを、ちょっと考えてみて欲しい。