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Review 2 プリプリ

 かつて、プリンセスプリンセスは歌った。「GET CRAZY!」、1988年。私は19歳だった。

 いつの時代も事件は男と女のワザ/素直な気持ちのままでずっと愛し合いたいね/今も昔も歴史は男と女のワザ/ひけめなんて感じないでずっと一緒にいようね

 大ヒットしていたその曲を、友達の家で知った。すっごくいいよ、プリプリ。ちょうどトレンディドラマ最盛期。その主題歌にもなっていた。オススメされて以来、機会あるごとにカラオケでよく歌った。

『往復書簡 限界から始まる』を読みながら、思い出すのはなぜか、プリプリことPRINCESS PRINCESSだった。

 熱に浮かされたように恋に夢中になっている娘に周囲は横槍を入れてくる。そんなのいまだけ、冷静になって良く考えなさい。彼にか彼女にか、親かライバルか…ちょっかいをだして邪魔して来て、引き裂こうと画策している。信じているけど、なんだかふたりの雲行きが怪しい…

 当時は意味など考えずに歌っていたが、そこにあるのは「願い」「祈り」だったのかもしれない。恋愛を盤石と思いたいが薄々それが幻想だとわかっている乙女心。にしても、「ひけめ」を感じたくない。これは、なんだろう?誰に対して?何に対して?「ワザ」とは、カルマだろうか?技術テクネーだろうか?考え出すと、どうとも取れる。

 プリプリは最も商業的に成功した女性ロックバンドと言われている。解散して、今はそれぞれの人生を歩んでいるようだ。

 先日はキャンディーズの解散ラストコンサートをTVで放映していた。残念なことにスーちゃんはすでに鬼籍に入っている。彼女たちは「私たちは普通の女の子に戻りたい」と言った。アイドルはトイレに行かないと言われた時代の話だ。夢を作るために未成年の女性が搾取された時代でもあり、それは今でもあまり変わっていない。

 女性が定型的な役割を押し付けられ、思うように生きられない時代が、つい最近まであったし、今でもある。お赤飯の次は結婚、妊娠、出産、家事育児、介護。仕事は二の次と言われた時代が長かった。

 決められたステージに乗らないと、そしりを受ける。あおられて自分も焦る。自らに忠実にあろうとすればするほど、妥協を迫られ、貫くにはいくつかある選択肢を、捨て去らねばならない。どれほど成功したロックバンドであろうと。人気絶頂のアイドルだろうと。時代の枠は人を縛る。

 女性たちは常にやじろべえのように危うくバランスしている。ギリギリのところで踏ん張っている。

 変わって来ている。その風は感じる。放って置けばバタン!と閉まってしまうその窓を開け続けているのは、本書の著者お二人のような女性達だ。アプローチは違っても、彼女たちのチャレンジがあるから、今と言う時代があり、今の時代だから彼女たちがいる。

 上野千鶴子さんといえば、女性に対する考え方に新しい風を吹き込み、アカデミズムに籍を置きながら痛快にザックザックと日本の女性の生きづらさにメスを入れてきた方。現在70代だ。一方、鈴木涼美すずみさんは30代で、東大修士論文が本になり、日経新聞に勤めた後、ライターとして活躍している方だ。昔AV女優をしていたことがすっぱ抜かれたことがある、らしい。私は実は寡聞にも鈴木さんのことをよく知らなかった。ちらりとTV等でお見掛けしたことがあったくらいで、文章を読んだのは今回が初めてだ。

 往復書簡ということなので、手紙のやり取り、ということになっているが、論文のやり取りに近い。テーマがあり、それについてのどの手紙も掘り下げられた丁寧なものだ。論文と違うのは、彼女たちが赤裸々に、自らの半生を振り返りつつ、心の奥深い部分をさらけ出し、自分の弱さや触れたくない場所にも目を向けて、相手にぶつけていることだ。

 テーマ別に論じられた手紙の往復には数多くのことを考えさせられた。文筆家であるが故の葛藤や仕事への向き合い方についても興味深かった。それより感じ入ったのはお二人の告白と自己分析だ。書籍化前提だから戦略的に「今、ここで、言う」と言うこともあったかもしれない。

 以前から互いに互いの存在を興味深く思っていたのだと言う。発案し二人を結びつけ、時に鋭い指摘をした編集さんの力があったと、あとがきで上野さんが述懐している。

 客観的に見てお二人を繋ぐのは「東大」というキーワードだ。このワードは日本の女性にとっては特別な意味を持つ。頭がいい人。家柄の良い人。そこに歴然とあるヒエラルキーは、私たちを圧倒する。四文字ワードを多発しようと、AVという特別な世界に身を浸そうと、輝かしいその経歴に、私たちはひれ伏す。

 そのお二人が「女性」というフィールドで私たちと同じ土俵に立っている。女性という括りの中のひとりとしては、だからこそ言えること、言ってほしいと願うことがある。代弁者として。しかし彼女たちは必ずしも私たちの直接の代弁者ではない。

 この書簡の往復で、彼らの生い立ちや生き方や定義をもってして外部に出たものは、彼らのフィルターを通ってきたものは、とても個人的なものだった。

 女性の問題は共有しながらも個人的な問題なのだと気付かされる。それは逆もまた真なりで、私のような市井の民の個人的な問題もまた、女性の大きな問題につながっている。鈴木さんはそれを、様々な色の糸で織られたカーペットと、織りなす一本の糸に喩えていた。

 痛くて、ひりひりして、他人には癒すことのできない生傷のようなものが、この往復書簡には強く色濃く出ていた。家族関係、特に親子のことについては、鈴木さんのことは知らなかっただけに驚いたり感心したりだが、これまで少なからず書籍を読んできた上野さんの、知らなかった面に触れて驚いたことも多かった。

 鈴木さんも上野さんも、時事的な話題、特に女性に関する問題には敏感に反応しているので、この本では昨年までに起こった主な事件がわかるし、さらに、これまでの女性史、女性に関する問題がわかる。それだけでも価値ある本だが、何より迫力ある切磋琢磨が印象に残った。鈴木さんの慧眼にも目を奪われたが、上野さんの知識と含蓄にはやはり敬服せずにはいられなかった。そもそもこの本で私は久しぶりに読めない漢字に出会った。ルビがついていて助かった。

 お二人は、70代と30代という年齢の差を越えて、相手の心の奥底を探り合う。そうすることで自らの心の深淵も覗く。そのことを恐れていない。それがすごい。こんなこと言われたらキレるかへこむかするだろうと思うような言葉が、互いの口(筆?)からポンポン飛び出す。さすがにどちらかというと、その切れ味は70代に分があるが、それでも30代の押し込み方もなかなかの迫力だ。

 最初は、鈴木さんからのお手紙に、少々おずおずとした遠慮と緊張が感じられた。だから正直ほんの少し、文章が歯切れ悪く感じた。でも、想像するだに恐ろしい。相手は上野千鶴子先生だ。数々の論文や書籍で社会の問題を炙り出し、メディアやアカデミズムに旋風を巻き起こし、東大の入学式の祝辞で先制攻撃の気概をみせた、人生の大先輩だ。普通の人ならたったの一行だって書けなそうだ。

 そこを果敢に切り込んでいく鈴木さん。凄まじい気概の切り込み隊長だ。それぞれの手紙は次第に熱を帯び哀しみを帯び親しみを増し白熱していく。格闘系ゲームで「Round1」「fight!」と掛け声がかかって画面の上や下にライフゲージのバーが出るような、あんな感じだ。相手を責めることはないが、攻めてはいる。ちょっとはぐらかしたり、期待外れな部分があるといきなりそこに剣が刺さる。グサリ。さあ、まだまだ!かかってきなさい!と上野さん。それなら、これはどうですかっ!と鈴木さん。

 一度相手の剣を受け、飲み込み、自分の中である程度熟成させ思索した書簡だからこそのやり取りでは、対談にはない面白さが味わえる。

 私は現在50代で、社会人としてはお二人とは全く比較にもお話にもならないただの人だが、女性としてはちょうど、お二人の中間地点にいる。だからお二人の「葛藤」が両方、ほんの少しは理解できる位置にいる。もちろん、先達である70代上野さんのことは未踏の地であり、何かわかるわけではない。ただ「老いていく過程」「身体が変わっていくこと」にぼんやりとした理解がある、とでもいえばいいだろうか。例えばお二人はシモの問題をよく話題にするが、同じシモでも年齢とともに内容が変化する。ヒトとしても、女性と言う側面でも。その哀切のグラデーションがわかり、面白かった。

 ところで本書とは直接関係なく、少し蛇足になるのだが、有働由美子さんもメディアに新しい風を吹き込んだおひとりだと思っている。彼女は自身の問題をオープンにしながら「女性の性を語っていい空気」を作ってきた方だと思う。

 朝の番組で有働由美子さんがメインキャスターを務めていた時代だからだいぶ前のことになるが、有働さんが産婦人科の先生と話をしていた時、女医さんが女性器に関し「年齢の若い頃は夢のある場所だったと思うのですけれど、だんだんお手入れが必要な場所になっていくんですよ」と仰られた。

 夢のある場所。その表現は朝の番組には似合っていて、かつ、面白いと思ったが、少し戸惑いもした。有働さんは軽妙に返していたが、若干切り返しに困っていたようにも見て取れた。

 性交、妊娠、出産は、果たして女性にとって夢なのだろうか。それは女性にとっては現実そのもののような気もする。実感としては「厄介な場所」であり、お手入れやケアが必要になるということで「さらに厄介になり続ける」ということのような気もした。女医さんは何もかも飲み込んだうえで、真実を言ったら身もふたもないからの「夢のある場所」発言だったのかもしれない。逆説的に。

 本を読んでいたら思い出し、著者のお二人はこの「夢のある場所」に関してどのような感想を持たれるだろうと、ちらと考えた。

 さて、プリプリのGET CRAZY。ついつい、眞子さまを思い出す。奇しくも本物のプリンセス。ご結婚を控えて今、日本中で注目されているだろう。彼女を取り巻く特殊な事情はひとまず脇に置いて、騒動を眺める限り、女性が解放される時代はまだ遠い気がする。彼女もまたひとりの女性として、織りなすカーペットの糸であると思うのだが。その色が特別な金糸であろうとも。








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