読まないわけは
以前、息子が本を読まない、という記事を書いたことがあります。
子供の読書については、色々な本も出ているし、様々な研究があります。
いわく、13歳までに読書習慣がつかないと本が読めなくなる、小さいころから読み聞かせることで読書の習慣化につなげることができる、会話を増やして語彙が増えれば自然に読書習慣に結びつく、リビングにいつも置いておく、親が読んでいる姿を見せれば……、などまあ、数限りない指南がそこかしこに。
正直、つい最近まで、結構焦っていました。
私も夫も読書は好きな方で、自分なりにはいろいろと手は尽くしてきたつもりだったので、子供が読書を好まないことに常に忸怩たる思いがありました。
中学生までにはなんとか読書習慣を、と思っていたのですが。
最近、考えが変わりました。
幼いころから息子は友達に恵まれているほうだと思います。
「遊ぶ子がいない」と言って泣いたのは、転校した一時期だけで、それ以前も以後も、ちいさないざこざはしょっちゅうでも、結局は彼の周りにはいつも友達がいました。
つまり彼は、リア充なのです。
リアルが充実している人は、本を読んでいる暇がないような気がします。
学校に行って、部活をして、友達とオンラインゲームをしたり、ラインで話したり、休日には遊びに行ったり。
それはそれで、いいことだと思うようになりました。
友達がいるって、だって、素晴らしいことです。
子供のころの私が体験できなかったことを彼は体験しているのだし、人の人生はそれぞれ違うのだから、「本を読みなさい」「読書っていいものだよ」なんてただの押し付けに過ぎません。
押し付け、というより、もはや害。
もちろん、リアルが充実していて、なおかつ、読書体験もあるのがいちばんいい、と私も思います。
そのような子供たちも、たくさんいます。
でも彼は違うのです。
読書の他に楽しいと思うことが沢山ある、それだけなのです。
受け入れよう、と思うようになりました。
そして、本を読んだら、というのをやめました。
読解力とか教養とか、受験とか学習としての国語や社会性といった意味で、残念に思う気持ちは確かにあります。やはり、読書量というのは確実にそういったものに影響していると思います。
でもそれも彼の人生。
できればゲームや動画やアニメじゃなくて本を、と思うのは、親のエゴ。
人に強制的に本を読ませることなんてできません。
そんな読書は意味がないし、そんな読書は、楽しくない。
自分の希求した時にこそ、本は真価を発揮するものだと思います。
もしかしたら、彼の心を動かす1冊の本に、まだ出合っていないだけなのかもしれません。
この先の人生のどこででもいいから、いい形で本と出合ってほしい、と思います。
本ならではの素晴らしい世界があることをいつか知って欲しいと、今はただ、願っています。
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