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セルトラリン服用の記録2

2021年2月25日、心療内科初診。
セルトラリン錠25mg が処方された。それから9日後の3月6日、2度目の診断で、初診のときに医師から言われていたとおり、薬の容量を増やすことに。処方されたのはセルトラリン50mg。

弱い量から始めてだんだん強くし、安定してきたら再び弱くしていって最終的には断薬という流れがプラン。

前回の記事でも書いたように、初めて薬を飲み始めたのが新しい仕事を始める前日という微妙なタイミングだったため、薬のはっきりした効果がわからない。11ヶ月におよぶ、何の制約もなく膨大な時間が目の前にあり、ただ漫然と時が流れていくだけの地獄のような無職生活にやっとピリオドが打たれ、「新しい仕事(しかも未知の業界なのである)」という大きな変化のスタートを切ったタイミングで薬を飲み始めたので、心の変化が薬による効果なのか生活から得ている刺激なのかどうか、いまいちつかめない。

ただ、仕事を始めたことは明らかにプラスに動いている。目的がある、役割がある。仕事の不安や疑問は別にして、何はともあれ働いた分がお金になっているという意義と安心。

無職の時はどうしても直らなかった昼夜逆転は嫌でも元に戻された。在宅ワーク。7時に目覚ましをかけ8時に起き、9時半から仕事を開始。そこからは怒涛で休憩らしい休憩もなかったりするが、夜はその日の日付のうちに布団に入る。寝つきの悪さは変わらないが、ヒーリングミュージックをかけて何度か寝返りを打っているうちに、遅くても1時台には眠りについている。

鬱の時に一番苦しかった胸の激しい痛みとそれに伴う吐き気がそういえばない。寝込まなきゃ耐えられないような落ち込みがない。ため息の回数が減っている気がする。自己虐待ともいえるような自己嫌悪と自責、罪悪感のループが減った。

とはいえ、自分の人生を無駄にしたという後悔や情けなさ、自分は駄目だという思いは根強く残っている。何者かにならなければならなかった自分。そして結局、何者にもなれなかった自分。自分を苦しめていた鬱の根源はこれだ。無職で時間が有り余って考える時間が増え、この感情を腐らせ心に浸食させてしまったのだと思う。

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食欲が増した。ただしこれも生理が始まったことで、薬による変化なのかどうかよくわからなくなってしまった。しかし今日驚いたのは、サンドイッチ5つにお稲荷さん3つ、昼寝の前にビスケットを1枚食べ、起きてさらにお稲荷さんを3つ、そのあと夕飯のカレーを平らげている自分。薬の影響だろうか。しかし調べたところセルトラリンに食欲が増す副作用は見られないようである。

鬱が一番ひどかった時は、母親の出す食事が毎回多くて苦しかった。母は男系で大喰らいの家庭で育ったものだから、その感覚のまま、老夫婦と中年の娘一人の家族の食卓にならぶ食事も食べ盛りの子供がいる時とたいして変わらない。ご飯と味噌汁のほかに何皿も並べられたおかずを食べ切るのは、鬱絶頂期の私にはただの拷問だった。山をいくつも登るような気持ちで皿を片付けていったが(片づけるなんて、作ってくれた母に悪いがそんな気持ちだった)、いつも必ず一皿は食べ切れず残していた。そしてなぜか食事の後、満腹になると必ず鬱状態が酷くなって、食べた直後なのにベッドに横たわって深く眠り込んでしまった。食事の時間がとても憂鬱だった。

元気がなかったとき、母と目を合わせて会話をするのが嫌だった。気持ちがピークで落ち込んでいるとき、母のどうでもいい長話を聞く根気がなかった。少しは笑顔を見せなければと、無理やり力なく笑ったりしていた。繕っている自分が苦しかった。

今、鼻歌を歌っている自分に気付く。心が元気なので小さなことを気にしなくなった。タンスの奥から久しぶりに出した服を着て、鏡にうつる自分を新しい目で見ている。薬は順調に効いているようだ。今の懸念は、薬がなくなってもこんな風に生きていける自分に戻れるのかということだ。


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